2006年05月07日

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(飛行艇の時代:55) 飛行艇を考える(2)

Tuvalu20.jpg

2000年8月3日付け神奈川新聞に横浜から小笠原へ定期空路の新設計画が掲載された。

1997年8月に設立された横浜国際航空(資本金:6千万円)が2001年8月に運行開始を目指すという記事である。

使用予定の艇体はグラマンG111「ターボ・アルバトロス」2艇で、米フロリダ州のチャークス・オーシャン・エアウェイズ社保有のものを10年契約でリースし、当初はチャークス社がパイロットや整備士を派遣するが、将来は自前で運航する予定で既にパイロットや整備士などの募集を始めているとも報じられていた。

記事によるとグラマンG111ターボ・アルバトロスの定員は乗員乗客あわせて30人、艇体長さは約18m、全幅約29m、高さ約8m、滑走距離1000m(車輪で陸上滑走路に着陸する場合?)、航続距離4000km、巡航速度320km/h、最大離陸重量16000kgとある。

グラマンG111「ターボ・アルバトロス」と言う艇体は良く知らないが、1953年に開発されたグラマン「アルバトロス」をターボプロップに換装した飛行艇であろうか?

チャークス・エアウェイズ社は水陸両用飛行艇の運航では世界最大と紹介されていた。

毎日2往復の運航が予定されており、運賃は大人片道2万5千円が予定されていた。

横浜側はMM21地区か八景島周辺に40アール程度の海に面した土地を確保し、ここに格納庫や乗降用施設を設けてベースにしたいと考えていたようであるが横浜港が使用できない場合は羽田空港を使用することも検討していたようである。

小笠原側については特に触れられていないが父島・母島を八丈島経由で運航し、乗降時間を含めて約4時間で運航する計画のようであった。

ただ、航空管制上の問題や土地の確保、船舶の往来の激しい横浜港の利用などクリアすべき課題は多く開設にはなお曲折が予想されると、その記事は結ばれていた。

この件に関し東京都、航空局など官辺とも調整が行われていたがG111Tの型式証明取得の目処もつかず同社はその後運航開始時期を延長と発表し、そのまま今日に至っている。

このような公共的事業の場合は特に環境アセスメント、地域社会への説明・意見聴取を含む充分なフィージビリティスタディが必要である。

前回述べたように多方面からの事前検討をすすめた上で機種や運航形態・便数など事業計画を具体化することになる。

このような問題は法規的・社会的な関連事項が多く、ブログで扱う範囲を超えるので次回からは構造や機構など技術的な事項について検討を進めることにする。

見出しの切手は前回と同じツバルのシリーズ切手である。

バイツプ環礁上空を飛ぶ飛行艇はグラマンのグースかマラードであろう。

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