2006年08月05日

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(飛行艇の時代:59) マーチンM130「チャイナ・クリッパー」

M130@SF.jpg

今週、洋書店で見つけて購入した書籍の中にシュテファン・ニコラウ著「FLYING BOATS & SEAPLANES - A History from 1905 - 」がある。

FLYINGBOATS&SP.jpg

縦横26cm余の殆ど正方形で、約190頁である。
コピーライトは1996年にパリのETAIにあり、スペインで印刷されてる。
英訳者は Robin Sawers である。

沢山貴重な写真が載っているが、今回はマーチンM130の写真を3葉紹介する。

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見出しの写真は「テスト飛行でボルチモアの繋船堀上空を飛ぶマーチンM-130チャイナ・クリッパー」とキャプションがついている。
ボルチモアは飛行艇の名門マーチン航空機工場のあるメリーランドの港町である。

しかし、この写真の背景の街はサンフランシスコであると思われる。
M-130の尾翼の向こうに小高い丘が見え、その上に煙突のようなタワーが見える。
これがサンフランシスコのテレグラフヒルに建つコイトタワーと思われるからである。
1997年、サンフランシスコから「クリスタル・シンフォニー」でアカプルコまでメキシカンリビアラをクルーズしたときに見かけたが埠頭からの距離もこの程度であった。
私はボルチモアには行ったことがないので断定できないが恐らく間違いないであろう。
パンアメリカン航空が太平洋路線用にシコルスキーS-40を上回る飛行艇を建造するために1931年に飛行艇メーカーに要求仕様を提示した。
シコルスキーはS-40を拡大したS-42を開発し、マーチンはひとまわり大型のM-130を提案した経過はこのブログで述べたとおりである。

1号艇「チャイナ・クリッパー」は1935年10月9日にPAAに引き渡され、2号艇「フィリピン・クリッパー」は11月、3号艇「ハワイ・クリッパー」は翌年3月に納入された。

M130@couch.jpg

数日にわたる長距離飛行になるためマーチンはM-130のキャビンにプルマン式寝台を用意した。
イギリスのCクラスボート(ショート・エンパイア)ではサウザンプトンから極東便・豪州便では日暮れ近くになると寄港地に着水し乗客は陸上のホテルで宿泊していたが、ハワイ・マニラはともかく、ミッドウェイ・グァム・ウェーキなどにそのための宿泊施設を用意することも出来ないので仮泊中の艇内で夕食から朝食まで用意し、そこから次の寄港地を目指して離水したのであろう。

M130@film.jpg

このマーチンM-130は3艇しか建造されなかったが1号艇の愛称と同じ「チャイナ・クリッパー」というハリウッド映画も製作された。
M-130の操縦席についているのはパット・オブライエン、ハンフリー・ボガートである。
横の角窓の後に波板外板が見える。
与圧キャビンが実現されたのは後年のことである。

[註]写真は同書から複写したがカバー写真以外の提供元はすべてPan Amである。


Comment on "(飛行艇の時代:59) マーチンM130「チャイナ・クリッパー」"

たしかに、コイトタワーが見えますし、冒頭の写真はサンフランシスコでしょう。2002年に行ったとき、フィッシャーマンズワーフから水上飛行機の遊覧飛行があり、丁度このあたりから離水して、アルカトラス、ゴールデンゲートブリッジ、市街の西端から南端を周回して、再びこの写真のあたりから着水しました。僕はグライダーでの飛行経験もありますので、頼んで副操縦席に座らせてもらいました。

こんにちは
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
客船も飛行艇もとても面白いのですが、このところツェッペリンの飛行船に取り憑かれておりました。
何しろ興味でやっていますし、時間も処理能力も乏しいので飛行艇はお見限りになっていました(笑)。
いまでも西インド諸島、アラスカ、西部カナダなどでは水上機が活躍しているので以前小笠原空路開設(?)の件で触れたチャークスの小型飛行艇など紹介して見ようと思っています。

今後ともよろしくお願いします。