2007年02月19日
(飛行艇の時代:71) 小笠原と飛行艇

いささか旧聞になるが、昨年5月7日のこのブログ「紺碧の海」で2000年頃、横浜国際航空(資本金:6千万円)が小笠原諸島の父島・母島に飛行艇で定期便運航を計画していたことを紹介した。
小学館発行の月刊雑誌「BE-PAL」2000年12月号によれば、2001年8月に横浜港もしくは羽田空港から小笠原の父島・母島に毎日2往復定期運航する計画で、使用機材は米フロリダ州のチャークス・エアウェイズから乗員付きでターボ・アルバトロス(G111)を2艇リースして運航する予定であったようである。
運賃は船便の2等運賃と同じで、機内食サービスも予定されていたという。
横浜国際航空(株)は、アメリカのローカル航空で小型ジェット旅客機の機長をしていた斉藤茂保社長(49歳)と新人パイロット河上隆二氏(31歳)、それに女性スタッフ3名のベンチャー企業であった。

同誌の記事によると、本土側は横浜港(MM21地区または八景島?)もしくは羽田空港、父島では海上自衛隊の飛行艇用スベリ(スロープ)を借用したかった様である。
プロペラ双発機の海上飛行制限から中継点の八丈島に着陸する予定であったとも言われている。
この雑誌でも「架空小笠原飛行艇計画」という扱いであった。
新明和のPS2を民需転用しても非常に高くなるので安い中古艇使用を思いついたのであろう。
写真は同誌から転載したものである。
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