2008年02月28日

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二二八事件

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今日は2月28日である。

敗戦で日本人が台湾から引き揚げ、大陸から外省人(大陸の中国人)官僚や軍隊がやってきた。

本省人(台湾に住んでいた中国人)は祖国復帰を喜んで歓迎したが、やがて彼らの腐敗の酷さに驚き失望した。
兵士が強姦、強盗、殺人を犯しても罰せられぬ場合もあり、そうでない場合でも新聞などの報道は厳しく禁じられた。
中国人官僚により資材が接収、横領されたりして物価は高騰し失業も深刻で、日本の統治を経験した本省人にとって治安の悪化や官僚の腐敗は受け入れがたく、不満は街に溢れていた。

そんな1947年2月27日、台北で闇タバコを売っていた本省人女性(林某40歳、2人子持ちの寡婦)に対し取り締まりの役人が暴行を加えたことが発端となった。
翌28日、本省人による市庁舎への抗議デモが行われ、憲兵隊がこれに発砲して、無関係な本省人陳文渓を射殺し、抗争は台湾全土に広がった。
台湾行政長官兼警備総司令の陳儀が大陸にいた蒋介石に援軍を要請し、これを鵜呑みにした蒋介石は第21師団と憲兵隊を送り込み大弾圧が始まった。

このとき、裁判官、医師、役人をはじめとして日本統治下で高等教育を受けたエリート層が逮捕・投獄・拷問を受けた他、国民党軍は一般市民にも無差別に発砲を行い、街角で北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を手に差し込んで縛って束ね粽と称してトラックに乗せそのまま基隆港に投げ込んだとも伝えられている。
この事件で約28000人が殺害され、彼らの財産や研究成果などの多くが接収された。
このとき発令された戒厳令は40年後の1987年まで継続していた。
今日の台湾に近い形の民主化が実現するのは本省出身の李登輝総統が1997年に憲法を改正し、言論の自由が認められてからのことである。

どうしてこうも同じ民族同士が憎しみあうのだろう。

それに我々の想像を絶する残虐さは話を聞くだけでも耐えられない。

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この写真は228公園にある228記念館である。

日本統治時代、ここは日本放送協会の建物であった。本省人が一時占拠していたので現在228記念館として日本統治時代の展示品が陳列されているが、あまり生々しい事件に直接関係する展示物は見あたらなかった。

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これは228事件の記念碑である。

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台北市の中心部にある台北帝大の大学病院のすぐ前で、この公園が整備された時は新公園と言っていた。
私も幼い頃、母が大学病院にかかっていたことがあり、そのとき母とこの公園を散歩した記憶が微かに残っている。

いまも当時の面影を残しているが池や噴水、熱帯植物、四阿などのある良い公園である。228記念館と反対側には台湾博物館もある。

今も同じところに台大医院がある。

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