2009年08月10日

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己丑台湾紀行(10) 滬尾砲台(臺北縣立淡水古蹟博物館)

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滬尾砲台には入場料を払わずに入れることになった。
アーチを潜って中にはいると、待機していた学芸員のような博物館職員らしきガイド氏が遠慮げに寄ってきて説明をしてくれた。

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滬尾砲台は、1884/1885年にフランスとの戦争で淡水にフランス軍に上陸を許したので、その翌年にドイツ陸軍の工兵中尉マックス E.ヘヒトを招聘して構築され1889年に完成されたものである。
当時淡水河は水深があり、1860年の北京条約で淡水開港が決定し、1862年にイギリス人J.W.ホーウェルが初代税関所長になっていた。
1945年まで水先人の居る外航港湾で、いまでも税関官舎が古蹟として残っている。
この砲台には南方の淡水河と西方の台湾海峡に向けて12インチと10インチのアームストロング砲各1門、8インチクルップ砲2門が設置されていた。

土塁は1辺約百メートルの矩形に構築されており、壕の中には居住区や司令部、弾薬庫などがあった。現在は全体が古蹟博物館になっており、戦前の市街の写真が説明板とともに展示してある。
私が生まれた公会堂の洋館も、戦時中に住んでいた郵便局の別館も、郡役所や河口に停泊している貨物船の写真も、当時の淡水神社も並んでいた。
そのなかに「淡中李姓一同記念写真」があり、淡水に隣接する三芝出身である若き日の李登輝氏も写っていた。

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これはその中の一齣で、当時の淡水駅周辺であろう。
蒸気機関車が給水しているのが見える。

CannonMount_1.jpg

ガイド氏は「日本語が出来ないから」とか「英語がうまくないから」と言いながら隧道を抜けていくつかの砲座も説明してくれ、写真を撮っている間待っていてくれた。

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これは当時の弾薬庫である。

時間を掛けてゆっくり見学することが出来た。
ガイド氏にお礼を言って、「いま公会堂の跡地はどこになるのでしょう?」と聞いてみた。

そうすると彼は古蹟博物館の事務所に案内してくれ、ほかの学芸員に尋ねてくれた。
古い話なのですぐには判らなかった。
そのうち誰かが何処かに電話を掛けて訊ねてくれている様子である。
しばらくして、いま図書館のあるところだという。

事務所に用意されている淡水の地図を開いて見当をつけた。

ガイド氏に大変お世話になったお礼を述べると「いいえ、こちらこそ、先輩」と言ってくれた。

事務所の前で2人の写真を撮っていとまを告げた。

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すぐ隣は淡水鎮の忠烈祠である。

戦前、淡水神社であったところである。

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鳥居も台湾風になっていた。

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静かな境内を歩いて淡水の街へ向かった。

Comment on "己丑台湾紀行(10) 滬尾砲台(臺北縣立淡水古蹟博物館)"

Hi,

I am intrigued by the pictures of 淡水公会堂洋館 and the train station. I remember, when growing up in the 1950s, playing at the ruins of the 公会堂 but never knew the story behind it. And of course I have ridden on the train to Taihoku.

Can you give me more history of the Kokaido - perhaps I can post it on my Danshui history site?

Thank you very much.

HM Cheng