2010年05月25日

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淡水線略図

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台湾在住の片倉佳史氏が書いた「台湾鉄路と日本人」(2010年2月15日:交通新聞社刊)に掲載されていた淡水線略図である。

現在走っているMRT淡水線に近いところを走っていたが、「関渡」は「江頭」の字が当てられていた。

この淡水線は1901年に竣工したが、1916年には列車が脱線墜落し二〇数名が負傷し、1932年には竹囲と江頭の間で台風のため列車が転覆し、41名が溺れて亡くなっている。

母は淡水線で台北一高女に通っていたと言っていた。

Comment on "淡水線略図"

「淡水線略図」にはご丁寧にも自動車道路から徒歩路線まで描かれていたが、記憶に
残る淡水から萬華までの船便は残念にも欠けていた。焼き玉エンジンの機動船で乗客
は十数名で「ポンポン」と音を発てて走る。逆流で台北までは数時間も掛かるが、料
金が安いためか一部の人たちが利用した。湖島克弘の「阿片試食官」にもその船便の
描写があり、幼い私一人だけの記憶違いではなくて良かった、と胸を撫で下ろした。