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2010年10月 アーカイブ

2010年10月28日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「淡水」ブログはこちらです ***

はじめに

TansuiSunset_1.jpg

淡水は臺北から臺湾海峡に注ぐ淡水河の河口右岸の街である。

臺湾は1895年から1945年までの半世紀のあいだ日本の施政下で、現地の人と移住した日本人が一緒に生活を行い、共にこの街を育ててきた。

大東亜戦争の敗戦で淡水から日本に引き揚げてきた人たちの中から、木下静涯画伯などが中心となって「淡水会」がつくられた。

九州出身者が多いこともあって、第1回・第2回の会合は九州で開催された。

第3回は1977年9月16日に広島で実施された。

その後 博多、唐津など九州のほか、高松、熱海など国内各地で開催され、1988年9月3日に、また広島で開催されたときには第22回になっていた。

淡水公會堂で生まれた私は、引き揚げたときまだ6歳だったので同年配の話し相手が居らず広島・博多など2、3回しか出席していない。

回を重ねて1991年には淡水で開催された。

しかし、会員の年齢が高齢化すると参加者も徐々に減り、何度か終わりにしようという話が出ていたが、未だに開催されている。

2009年4月時点の会員数は117名(他に台湾在住者9名、1998年以降物故者(逝去日付き)38名、退会者・転居先不明者31名)である。

ブログを介して2009年8月に知り合った淡水生まれボストン(USA)在住の博士にこの状況をお知らせしたところ「『淡水会』は存続させるだけでなく、さらに広げて行くべきだ」と激励を受けた。

博士と同様にブログで知り合ったカリフォルニア(USA)在住のLCさんも、横浜在住のKG氏も、それどころか私自身も市内に住んでいる妹も会員名簿には載っていない。


2010年9月29日に、博士やKG氏とともに淡水鎮公所(街役場)を公式に訪問し、淡水国民小學では校長先生に校内を案内して貰い昼食会で歓談したあと、三芝まで連れて行って貰い、三芝国民小學開学百年記念ミュージアムを見せて貰いそれぞれに記念品まで頂戴した。

博士やその叔父さんご夫婦には朝宿舎に迎えに来て貰ってから遅くなるまで一日中お世話になった。

私も生まれ故郷である淡水と、それに関わりのある人たちに何かお役に立つことが出来ればと思う。

差し当たって、淡水の街やそこに住む人の素晴らしさを紹介しようとこのブログを立ち上げることにした。

少しずつでも情報の蓄積や橋渡しとなり、淡水に縁のある人たちの連絡や情報交換に役立つことがあればこれに勝る喜びはない。

2010年10月29日

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淡水概史

OldFort.jpg

周婉窈著「図説 台湾の歴史」によると3〜5万年から台湾に人が住んでいた。

中国大陸では随時代に台湾の存在は知られていたという。
宋時代には台湾海峡の澎湖諸島には漢人が定住し、元のころに澎湖諸島は元の版図に組み入れられていた。

しかし、台湾本島に漢人が渡ったのは清朝になってからであり、その地域も台南・高雄周辺の南部平野に限られていた。

16世紀になるとポルトガル人・スペイン人・オランダ人が貿易の拠点として出没をはじめた。
オランダは台南にゼーランジャ城、プロビンシャ城を築いてこの地域を占領し、1662年に鄭成功によって駆逐されるまで その台湾統治は39年間に及んだ。

この間1626年にスペイン人が淡水・基隆一帯を占領し、城塁を築いたが1642年にオランダ人によって追い出された。

淡水鎮公所のウェブページ(http://tamsui.gov.tw/about_tamsui/)によれば、1629年にスペイン人が現在の淡水に拠点を築いていたがオランダ艦隊がこれを攻め、オランダは追い返された。
1634年にスペイン人約200人が居たという。
1640年代にオランダが基隆や淡水を攻めてスペイン人を追い出し、1646年に、いま紅毛城として知られる砦を構築した。
1661年に漢人を父に日本人を母にもつ鄭成功が台湾を治めた。
オランダ人は投降し、基隆や台北を捨てて敗走した。

鎮公所の資料によれば1829年に滬尾(淡水の旧称)の人口は約1200人であった。
1862年にイギリスが紅毛城に領事館を置き、1867年には永久租借とした。

1871年に台南に漂着した琉球漁民54名が台湾原住民に殺害され、翌々年には岡山県の漁民4名が同様の被害を受けた。
日本政府は清国政府に善処を求めたが、清国側は「化外の地」であるとして応じなかったので1874年に台湾出兵を行った。
これより先、日本は1872年に福建省福州に領事館をおき、台湾の業務もそこで行っていた。

1883年には清仏(清法)戰争が起き、翌年フランス艦隊の陸戦隊が滬尾に上陸している。
その戰争は1885年に講和となったが、港湾防御の必要性を痛感した清は翌年ドイツから工兵大尉マックス E.ヘヒトを招聘して滬尾砲台を構築した。

1888年の淡水港の貿易額は台湾全体の74.9%であったという。

1894年に朝鮮半島をめぐって日清戦争が始まり、翌年の講和会議で台湾は日本に帰属することになった。

1895年6月17日に台北で始政式が行われ、その翌年には滬尾日語傳習所が設けられ、淡水港の糖税及樟脳検査所、滬尾街郵政電信局、滬尾警察署及各地派出所が設けられ、台北から淡水への道路も修復された。
この年の人口調査で淡水の人口は6344人と記録されている。

1897年には日本郵船が淡水・福州航路、香港・淡水航路を開設した。

1898年には日語傳習所は滬尾公学校と改称され、この年10月には滬尾伝染病隔離所が設置された。

1899年3月26日に淡水小学校が設立され、4月2日には大阪商船が淡水・香港航路を開設し、この年淡水と基隆が台北地区の樟脳輸出港にしていされている。

淡水で布教し、治療や教育を施したカナダ・キリスト教長老会初の海外宣教師であったジョージ・レスリー・マッカイ博士が1901年6月2日に亡くなった。享年58歳であった。
この年、淡水線の鉄路が竣工している。

1903年5月に滬尾公学校の校舎が落成した。同年12月1日には滬尾から小基隆(現:三芝)間の道路も開通した。

この頃基隆の貿易額が淡水を越え、1906年には淡水税関基隆分署が設けられ、1909年には淡水と厦門、福州との航路が廃止された。淡水河の堆積がすすみ大型船の入港が難しくなったのである。

1910年には淡水と長崎のあいだに海底電線が敷設され、1912年には滬尾支廳は淡水支廳に、滬尾公学校は淡水公学校に改称された。


(工事中)

(滬尾/淡水に関する歴史や関連人物は「漁人碼頭的戰爭」(http://danshuihistory.blogspot.com/)に詳しく述べられているので是非参照のこと)
 


2010年10月30日

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名簿に掲載されている会員氏名

ここに掲げた氏名は2009(平成21)年4月発行の「淡水会名簿」に基づくものである。

(氏名)         (旧姓)
秋本久三子     花香

荒川 翠       芝山

石山幸雄
石山かず子     辻

板羽トモ

伊藤卓治
伊藤文子

伊藤禎二

稲尾友子

今井一彦
今井芳子

今村秀子      福山

上田橲代子     安岡

上田武司

上田義子      楢橋

江崎生子      松本

大石星子      岡本

大谷 巴       吉永

岡地敦子

小倉富美枝

小栗興一
小栗喜代江

小栗妙子      筑紫

小栗常寿
小栗洋一

尾上みきゑ     野中

柿原サエ

柏木千代子     有馬

亀川伸子      松元

川口綾子      中野

菅 啓子       服部

菊地裕子

木下文子
木下節子

木村英子

木村一俊

木村久子      城市
木村芳夫

草田洋子      大本

国武増子

桑代久子      前野

河本昊子      永田

小峯ヒデ子     前野

小宮千津子     宮崎

児山俊一

近藤孝夫

坂下幸子       辻

逆瀬川 正

阪西 稔       吉田

桜沢玲子       小林

佐藤康子       前島

重松節朗

渋谷文子

島田エミ        高木

城ヶ崎静子      前野

城ヶ崎豊海

杉本笙子       栗谷

鈴木欣子       小林

武井 一
武井和子

武井 央

武石君枝       前島

竹岡 浩

竹本 節        柴山

田中恭子        谷

田村秋子       氏家

千明やちよ

千原昭嗣
千原要子       栗谷

遠山 啓

豊福滋善
豊福千津子

豊福嵩善

中野文夫

野島助則

服部 薫       松本

服部松明

塙 節子

塙 博

馬場洋子

林 智恵子      森元

平木場 松      高尾

福田マキ子      山本

福田 茂

藤原和江

藤原 栄

古川清子       浅野

古川美代子      松田

前本和男

真茅輝子       前野

増田武俊

増田昌俊

松浦譲二

松浦鉄矢

松尾 繁
松尾ハツエ

松田照美
松田照子

松本君子       竹岡

松本繁樹

松本達雄

松本はな

水上明子      松林

宮山久美子     勝

村上清子

森 茂郎

森元末治

森元義則

八並幸雄

山野克彦       前島
山野サトエ

山本多恵子      松本

横山 脩

横山 学

吉永正広

吉村武義

四元美代子     勝

(台湾在住者)
洪 聡 敏

蔡 愛 玉

蔡 彩 勤

孫    秀

張 根 師

潘 丞 斌

雷 景 昭

廬 光 耀

廬 純 純

   

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