2013年07月23日

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堀越二郎の設計した飛行機(1)

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堀越二郎は、零式艦上戦闘機の設計者として有名であるが、彼がその手腕を発揮して世界水準を抜いたのは、制式採用によって九十六式艦戦となる九試単座戦闘機であった。

冒頭に掲げたのは、その堀越が初めて手掛けた七試艦戦である。
七試艦戦とは昭和7年に試作を指示された艦上戦闘機で、海軍が製造する飛行機を純国産化する計画の一環として三菱、中島の両社に競争試作を示達したものである。

本機は、日本で最初の低翼単葉片持翼の全金属機であったが、1号機は急降下飛行試験中に垂直安定板が折損して操縦士は落下傘降下し、2号機も試験飛行中にスピンを起こしテストパイロットは落下傘で脱出し、競争相手の中島機共々不採用に終わった。

七試艦戦が不合格になったために昭和9年2月に海軍は三菱、中島の二社に九試単戦の競争試作を命じた。

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その計画要求書は極めて簡潔なもので、艦上戦闘機であることも要求されていなかった。「艦戦」であることも求めず「単戦」(単座戦闘機)とされていた。

試作初号機は図示のように、前下方視野を確保し、固定脚長を抑えるために主翼を逆ガルタイプにしていたが、2号機では中央翼を水平に直している。

これが制式採用になって、堀越の傑作と言われた九六式一号艦戦となった。

これが実戦に出動して敵全機撃墜、被害ゼロという戦果を挙げるばど、後継機零式艦戦につながって行く。


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