2013年07月24日

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堀越二郎の設計した飛行機(2)

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九六式艦戦は画期的な飛行機であったが、酣燈社の「新名機100」にもイカロス出版の「名機250選」にも(株)ワールド・フォトプレスの「傑作航空機100」にも取り上げられていない。

後継機、零式艦上戦闘機の陰に隠れてしまった感がある。

しかし、零戦は九六式艦戦の発展改良型である。

昭和12年、十二試艦戦の計画要求書案が三菱、中島両社に交付されたが、中島は実大模型をつくる直前に辞退した。

初号機の翼幅は12メートルで、航空母艦昇降機のサイズから翼端を上に折りたたむ方式(上図)である。

試験飛行中に空中分解などもあったが、改良されて昭和15年に制式採用となった(零式艦上戦闘機11型)。

ちなみに昭和15年が、紀元2600年にあたるので海軍ではこの年に採用になった機種は零式と呼び、陸軍では百式と呼んでいる。

零戦の性能が良かったために後継機(烈風)の開発が遅れたという向きもあるが、零式の改良と並行して、堀越達は十四試局地戦闘機(雷電)の開発も行っていた。

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昭和17年に試作内示があったこの十七試艦戦の初号機は昭和19年に試験飛行を行ったが、発動機の換装をはじめ改良を重ねているあいだに終戦となり、実戦に配備されることはなかった。

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