2005年05月15日

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(飛行艇の時代:2)スーパーマリン・シーイーグル飛行艇の切手

SeaEagle1.jpg

この写真の切手は幅36ミリ、高さ15ミリ程度の小さなものである。

英仏海峡のいわゆる海峡諸島の主な島はジャージー島とグァンジー島の2つであるが、そのジャージーで発行された切手である。

シュナイダー杯レース(幣頁「南十字星(https://www.shipboard.info/s/)」の『蒼空を往くクルーザーの伝説』参照)で速度記録を更新する競技機を造っていた航空機メーカー:スーパーマリン社は、1919年から、サザンプトンのウールストンから自社製のチャンネル飛行艇を使って英仏海峡横断路線を開設していた。

スーパーマリン社は、サザンプトン港を拠点とするサザン鉄道との共同出資で1923年8月に飛行艇を運航するブリティッシュ・マリン・エア・ナビゲーションを起こした。

同社は9月から、サザンプトンとフランスのシェルブールや海峡諸島のグァンジーなどをスーパーマリン・シーイーグル飛行艇で定期運航していた。

その後、ブリティッシュ・マリン・エア・ナビゲーションは、英国政府の指導によりハンドレページ・トランスポート、インストン・エアラインズ、ダイムラー・エアウェイズと合併しインペリアル航空となった。

インペリアル航空は、1939年にブリティッシュ航空を吸収して英国海外航空(BOAC)になった。
現在のBAの前身である。

このシーイーグル飛行艇は、写真で見るように複葉単発飛行艇であるが、座席は6席である。
1929年にはショート・カルカッタ飛行艇がこの路線に就航し、その後海峡路線は廃止された。

このころ、シュナイダー杯レースは英・米・仏・伊の各国間で白熱レースが展開されており、1931年の競技会に仏・米・伊が不参加のため、英国がスーパーマリンS6Bで優勝し、カップの永久保持国となった。

なお、バトル・オブ・ブリテンで英国本土を守ったことで知られているスピットファイア戦闘機はスーパーマリンが初めて開発した陸上機であった。

スーパーマリン・スピットファイアには双浮舟の水上機型も開発されたが、実戦にこれを投入する機会がなく試作に留まっている。

1998年にグァンジーを訪れたことがあるが、そのとき一本しか滑走路のないローカル空港からフォッカーF28フェローシップが離陸してゆくのを目撃した。


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