2005年06月02日

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(ブレーメンとオイローパ:APPENDIX-3) リバイアサン船上のフォッカー複葉機

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幣頁「南十字星」の「蒼空を往くクルーザーの伝説」では、その2章2節でブレーメン・オイローパに搭載された水上郵便機について述べた。

ルフトハンザがブレーメン・オイローパからの郵便機の発進を中止したのは、中継船を使って水上機で大西洋が渡れる見通しがついたからである。
ドルニエやブローム&フォスの事例をAPPENDIX−1,2で示した。

「蒼空を往くクルーザーの伝説」の2章1節で、最初に客船から飛行機を発進させたのはアメリカUSラインズのリバイアサンであると述べたが、このほどその貴重な写真が見つかったので紹介する。

1997年にドイツのBUCHER から発行された”LuxusLiner” に掲載されていたものである。

この調査で具体的な史実やデータが確認出来たので、整理したうえで「蒼空を往くクルーザーの伝説」にまとめる予定である。

クロウズネストから撮影したと思われるこの写真を見ると、リバイアサンの最上甲板、第一煙突の前に右舷後方から左舷前方にかけて滑走台を仮設し、陸上機フォッカー複葉機が搭載されている。長さ約30mの滑走台には殆ど傾斜はついていない。

滑走台の上には、この貴重な映像を撮影しようと10人以上の報道陣が三脚などを構えて待機中である。

複葉機の操縦席に搭乗しているのが操縦士クラレンス・チェンバレンであろう。機側では整備員が見守っている。

複葉機のエンジンは掛かっており、主輪の車止めで止まっている。
露天船橋にも男女の見学者が見える。

この実験ではカタパルトは使用されていないが、このあとフレンチラインが「イル・ド・フランス」で発進実験を行なったときはスチームカタパルトで6人乗りの水上機を射出したと報じられている。

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【追記:6/3】
この写真は、埠頭に係留中の船上発進である。
これは理解できる。

㈱ワールドフォトプレスが平成12年に発行したムック「栄光のオーシャンライナー」の「もうひとつの客船ストーリー」の項で、
『ここから1927年8月1日、クラレンス・チェンバレンの操縦する小さなフォッカー複葉陸上機が飛び上がった。
定期航海でニューヨーク入港数時間前、アンブローズ灯台船沖18マイルの大西洋上からであった。
機は高度わずか25mで雷雲の下を抜け、50マイル程飛んでテーターボロウ空港へ着陸し、ヨーロッパからの郵便物は無事にアメリカに到着した。』
と記載されている。

これが事実なら、飛行に成功したことは非常に運が良かったと思わざるを得ない。

当時の飛行機を船上で飛行できる状態に保持し、数日潮風に曝し、発進予定時刻に航行中の船舶から離床させることは危険極まりない事だったに違いない。

整備工場のある飛行場からの飛行でさえ、天候待ちとか機体やエンジンの整備状況によって延期されることは珍しくなかった筈である。

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