2005年06月04日

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(寄港地:6) 江田内

江田内.jpg

広島湾は、広島と呉と岩国で囲まれた三角形であり、世界遺産で知られる厳島神社のある宮島は広島と岩国を結ぶ辺上にある。

その三角形の中で一番大きな島が、江田島・能美島である。

ひとつの島に2つの名前があるのは、もともと東の江田島と、西の能美島がつながってひとつの島になったからである。
ひとつの島になっても統一した島の名前はない。
いまでも、東部を江田島と呼び、西部地区を能美島と呼ぶ。

いまでは橋で陸続きになったがその前は台風などでフェリーが欠航になると島に渡れなかった。

能美島の南に、ほぼ同じ大きさの島がある。
倉橋島である。

平清盛が開削したという伝説の残る音戸の瀬戸は、呉の南端・鍋地区と、倉橋側の音戸(隠戸)との間の海峡である。
いまは音戸大橋で結ばれている。

 能美島と倉橋島の間の早瀬の瀬戸には早瀬大橋が掛かっているから、江田島・能美島は本土と陸続きになったのである。

2005年、島は平成の大合併で江田島市になった。
島を構成する江田島町・能美町・沖美町・大柿町の合併が決まっても、新しい市の名前が決まるまでに時間がかかった。

始めに東部を江田島、西部を能美島と説明したが、この島はY字形になっていて、東の枝が江田島、西から南にかけての部分が能美島なのであり、沖美・能美・大柿の3町は能美島なのである。
そして、能美島の3町は広島市の西に隣接する佐伯郡に属し、江田島町は広島市の東の安芸郡に属していた。

ちなみに、倉橋島は呉市に合併されている。

前置きが長くなってしまったが、今回紹介するのは江田島と能美島にはさまれた湾、江田内である。

実は、戦前の海軍兵学校、いまは海上自衛隊の術科学校があるので有名な海面なのである。

兵学校の正面は海である。門衛が歩哨している門は裏門に当たる。
兵学校を卒業したら、そのままテンダーで江田内に浮かぶ練習艦隊に乗り込んで遠洋航海に出る。

兵科だけでなく、機関科も、主計科も、飛行機乗りも、技術士官も全員が海に向かって卒業して行くのである。

この江田内の入り口は津久茂の瀬戸と呼ばれる狭い水道で瀬戸内海につながっている。

写真はその津久茂に近い地点から南を撮ったものである。

護衛艦の手前に見えるのは牡蠣筏である。
背景は江田島で、画面の左外に術科学校・参考館などがある。
平賀譲博士の設計した巡洋艦の艦名にもなった古鷹山は術科学校の裏手になる。
この写真の右外には江田島市役所のある中町地区がある。

中町からは広島市内に通勤・通学する人を乗せたフェリーが、朝早くから夜遅くまで津久茂の瀬戸を通って往復している。


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