2005年06月05日

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(ブルーネル:3) グレート・イースタンの石炭庫

GreatEastern-cut.jpg

今回は、ブルーネルの最後の仕事となったグレート・イースタンを取り上げる。

I.K.ブルーネルは1838年に木造蒸気船「グレート・ウェスタン」(1319トン、外輪船)を設計・建造し、1843年には第2船として鉄製蒸気船「グレート・ブリテン」(3443トン、スクリュウプロペラ装備)を設計し、現場で指揮をとり建造させた。

第3船「グレート・イースタン」は鉄製蒸気船で、帆装できる6本マストに5本の煙突を立て、巨大な外輪車と暗車(水面下のスクリュープロペラ)を装備した、当時未曾有の巨船であった。

彼がこのような船を構想し、計画・設計・建造したことを理解するには、当時の情勢を理解しておく必要がある。

詳細は文献を参照して戴くとして、ここでは以下に概要を紹介するに留める。

その当時、英国では産業革命によって紡績などの生産性が飛躍的に向上する一方、失業者が増大し人口集中により大都市で犯罪が増加するなど社会的に問題を抱えていた。

1781年のアメリカ独立により移民先や流刑地を失ったイギリスは、1788年にシドニーでオーストラリアの領有宣言を行なった。
本国と15000km以上離れたオーストラリアは、移民の地よりも流刑の地として認識されることが多かった。

しかし、1849年にアメリカのカリフォルニアで持ち上がったゴールドラッシュが、アラスカとともにオーストラリアにも波及し、多くの入植者が殺到した。

1850年前後40万人程度であったオーストラリアの人口は10年間で3倍近くに急膨張している。

このため当時、英本国とオーストラリアの間の人と物の輸送が急務になっていたのである。

蒸気船を就航させるには給炭が必要であるが、当時は寄港地毎に良質の石炭が適正な価格で取得できるとは限らなかった。

それで新造の蒸気船では石炭の所要積載量から船体の要目が決められたのである。
全長211m、総トン数18915Tのこの船は移民を含む3000人を収容できた。

イラストは「グレート・イースタン」の機関部の水平断面である。

中央に見えるのが3400馬力の外輪用揺動機関で、船体を横断している軸が両舷の外輪を回し、図の左にあるスクリュープロペラ用の機関室には約5千馬力の水平直動機関が取り付けられていた。

この上の2層の全通甲板にキャビンクラスの船室があった。

それにしても石炭庫の容量は凄い。
何トン積んでいたのであろうか?
まるで、石炭を運ぶことが本務で、乗船客は便乗者のようである。

石炭の消費による喫水変動も大きかった筈である。


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