2005年06月17日

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(ブレーメンとオイローパ:4) 大型客船2隻同時建造

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[客船のポスター:4」で紹介したコルンブスの運航状況に自信を得たNDLは、これと組み合わせて配船するために同じクラスの新造船を、ブローム&フォスとAGヴェザーに各1隻発注した。

契約後まもなく、両船は 5万総トンに変更された。

ブルーリボンを狙うためである。

静的な浮力で水面に浮かぶ、いわゆる排水量型の船の速度の上限は、その船の長さで決まり、いくら推進機関の出力を上げてもそれ以上早くは走れないのである。

これをフルード則という。
(詳しくは専門書を参照して貰うとして、はやい話が瀬戸内海の小島を結ぶ連絡船が、船の長さに見合う最高速度で走っていたのなら、エンジン出力を10倍にしてもその船速を1ノットも向上させることは出来ないと言うことである)

両船の全長は1千フィート弱(936.7ft:オイローパ、938.6ft:ブレーメン)に変更され、総トン数は5万トンになった。

ブローム&フォスの479番船「オイローパ」の進水予定日は1928年8月15日、AGヴェザー・デシマークの872番船「ブレーメン」は翌日の16日と決められた。

船台からの進水は鋼鉄の塊が船になる、造船で一番のイベントである。
と同時に、大きなリスクを含んだ工事でもある。
進水に失敗した船は、真っ当な終わり方をしないというジンクスもある。
このため進水時刻は、最も潮の高い大潮の満潮に予定されることが多い。

しかし、「オイローパ」と「ブレーメン」の進水はちょっと事情が異なっていた。

大統領ヒンデンブルクが、同じ日にハンブルクとブレーメンで両船の進水を祝福し、命名することが出来ないからであった。

両船は異なる造船所で別々に建造されたが、外観上も共通の特徴を持っていた。

その第一は「バルバスバウ」と言って船首の水面下を球状に膨らませたラインズである。
艦艇に興味ある人は旧日本海軍の戦艦「大和」「武蔵」の船首形状と言えばお判りかもしれない。

これによって走行時に船首材の作る波と位相の異なる波を起こして打ち消しあわせることによって造波抵抗を抑えて船速の向上を図るのである。

第二は上部構造前端部を大きな曲面で覆ったことである。
従来の船舶は全て箱のように平面で構成されており、船というものはそういうものと考えられていた。

第三は太くて極端に低い2本煙突である。
それまでの大型船は2〜4本の高い煙突を高出力のシンボルのように立てていた。

この3つの外観上の特徴は別々に設計して偶然同じ結果になるとは思えない。

野間 恒氏の名著「豪華客船の文化史」によると、ドイツのトップクラスのデザイナーがデザインコンペに参加して基本計画が出来上がったのだろうとされている。

ただ低い煙突の外筒は就航後、後甲板に舞い散る煤煙のため後日約5m嵩上げされている。

「オイローパ」が一番船になる予定であったが、艤装工事中に発生した火災のために竣工は「ブレーメン」就航の翌年、1930年になった。

イラストは新造時の「ブレーメン」と煙突を高くしたあとの「オイローパ」である。

写真は1928年8月16日、「ブレーメン」の進水式で命名書を読み上げるヒンデンブルク大統領である。


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