2005年11月29日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

(飛行船:23) 飛行船落ち穂拾い

HindenburgMovie1.jpg

このブログでいままで取りあげていなかった事項を幾つか取りあげてみる。

ドイツ海軍最後の飛行船「LZ-114」は第一次大戦講和条約締結時に完成し、戦利品としてフランスに引き渡され「ディズミュード」となり、1923年9月25日からフランスおよびサハラ砂漠上を飛び続け118時間41分という飛行船の滞空世界記録を樹立した。

(しかし、12月18日サハラ上空に向かう地中海上空で嵐に巻き込まれ爆発してしまった。原因は落雷によるものと推定されている。)

イギリスでは大戦中に英国本土で撃墜した「LZ-76」(L33)およびフランスに不時着した「LZ-96」(L49)を参考に2基の飛行船を建造した。
アームストロング・ホイットワース社で建造された「R-33」と、ビアドモー社で建造された「R-34」である。
「R-33」は1919年に完成して1928年に解体されるまで800時間の飛行を行っている。
「R-34」は1919年7月に英空軍のG.H.スコット少佐の指揮でスコットランドからアメリカのロングアイランドまで初めての無着陸大西洋横断を行っている。
所要時間は往路108時間12分、復路75時間3分であった。

「R-36・G-FAAF」はイギリス海軍が大戦中に発注し最後に完成した飛行船である。
ツェッペリン「LZ−95」(L48)をプロトタイプとして建造されたが、イギリス最初の旅客用飛行船として乗客定員50名を収容する長さ40mのゴンドラの中には籐椅子やテーブルが置かれ寝台トイレ付きのキャビンやギャレーも造られていた。
ロンドン・カイロ間を72時間で飛行する計画であった。
しかし、試験飛行中に損傷し、修復されたものの目立った活躍の場もないまま約10年後に解体されている。

「R-80」はビッカース社で建造されたが初飛行後僅か1年あまりの間に75時間飛行したのみであった。

「R-38」はツェッペリンLZ112(L70)を原型として設計され「ZR2」としてアメリカに売却される筈であったが試験飛行中に空中で破壊してしまった。

「R100」「R101」は軍用飛行船の運用をやめ、旅客用飛行船として開発されたものである。
「R100」はエアシップ・ギャランティ社で製造され「R101」はベッドフォード州カーディントンの国営工場で造られた。
「R101」は初期トラブルも一部未解決のままエジプトに旅立ったがフランスで墜落し乗員・乗客56名中48名が死亡した。
このとき乗客と留守家族の間の霊界通信の話が一時取りざたされることがあった。
「R100」の方は順調で、1930年7月29日乗員42名乗客13名を乗せてカナダのモントリオールに飛びカナダ各地を周遊して8月16日イギリスに戻っている。
飛行時間は往路78時間51分、復路56時間30分であった。

「LZ-120・ボーデンゼー」は戦後ドイツが初めて建造した旅客用飛行船で、フリードリッヒスハーフェン・シュターケン間を往復する定期運航をして延べ4000人を運んだが、賠償としてイタリアに譲渡され「エスペリア」となった。
イタリア陸軍が長距離飛行などに用いていたが1928年に解体されている。

「LZ-121・ノルトシュテルン」は「LZ-120・ボーデンゼー」の同型であり、ベルリン・ストックホルム間の定期運航を意図して建造されたが、初飛行後フランスに譲渡され「メジテラネ」となりフランス海軍の練習船として使用された。

アメリカ国産の最初の飛行船「ZR1・シェナンドア」は、ツェッペリンのLZ-96(L49)を基準に設計されたが水素ガスの代わりにヘリウムガスを使うため気体比重差を補うため長さを10m延ばしている。
大陸横断など57回740時間の飛行を行っているが、1925年9月3日にオハイオ州でダウンバーストのため墜落した。

「ZR3・ロサンゼルス」は戦後ドイツで建造された「LZ-126」を賠償として受領したもので、水素ガスは渡米後ヘリウムガスに置換された。
飛行船母艦パトカから発着したり、航空母艦サラトガに着艦したり、空中で偵察機を発着させるなど活躍し、8年間に4350時間飛行している。

「ZR4・アクロン」「ZR5・メイコン」はグッドイヤー・ツェッペリン会社が製作したアメリカ海軍の偵察用飛行船である。
5機の偵察機を船体底部のハンガーに格納しフックによって発着させることが出来る空の航空母艦のような船であった。
「アクロン」は73回1695時間飛行し「メイコン」は54回1798時間飛行したが、何れも事故で失われた。

「LZ-129・ヒンデンブルク」は1936年3月4日に進空し、同年5月6日にアメリカに飛び64時間53分の大西洋横断記録を立て、その年にリオデジャネイロまでの定期便で7往復するなど56回の飛行で2656名の乗客を運んでいる。
1937年5月6日の夜、ニューヨーク郊外のレークハーストで係留柱に近づいて120mのロープを投下して係留作業中に爆発炎上した。

写真は映画館でスクリーンを撮影したものである。
船首からバラスト水が放出されている。


Comment on "(飛行船:23) 飛行船落ち穂拾い"

"(飛行船:23) 飛行船落ち穂拾い"へのコメントはまだありません。