2006年03月25日

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(飛行船:37) ヒンデンブルクの切手

Hindenburg3.jpg

オートボルタ発行の切手である。

ツェッペリンの飛行船と言えばLZ-127「グラーフ・ツェッペリン」が有名であるがあれは実質的に試作船であって、乗客用キャビンも主船体ではなくゴンドラ部分に2段ベッドのツインキャビンが10室だけであった。

唯一の公室とも言えるサロンはデッキプランでは何とか20席描かれていたが、実際には20名が着席するには無理があった。

第一、乗組員30名の内訳は航海部に相当するもの6名(総指令、第1船長、第2船長、第3船長、運転技師、舵手)、機関部に相当するもの18名(機関長、副機関長、機関士15名、電気技師)、事務部に相当するもの6名(通信士3名、スチュワード、ボーイ長、コック)なので乗客全員が同時に食事をとるとサービスが追いつかなかった。
なにしろギャレー(厨房)はコック一人で満員であった。

乗客定員20名に対し乗組員30名では採算以前の状態である。
世界一周飛行の際は3万通とも4万通とも言われる郵便物を運んだと言われるが乗船料の赤字を埋めたとは思えない。

それに対しLZ-129「ヒンデンブルク」は主船体内部にAデッキ・Bデッキを設置し、乗客用キャビンを25室(後年さらに増設された)、ダイニングサロンのほかラウンジやスモーキングルーム、バー、シャワールームまで設けられた。
船体中心部やや下に窓が見えるが展望ラウンジである。

ヘリウムガス搭載を前提に設計された同船はアメリカからヘリウム供給を拒否されて気嚢に水素ガスが充填された重量のコンペンセートとしてではあるがグランドピアノまで搭載されていた。
総指令のヒューゴ・エッケナーがピアノを弾いたり、レーマン船長がアコーディオンを演奏することもあったという。

しかし1937年5月にレークハーストで爆発炎上して飛行船時代に幕を引いてしまった。

同型の第2船LZ-130「グラーフ・ツェッペリン」にはヘリウムガスが充填されたが数回飛行したのみで実績らしい実績もなく解体された。

「ヒンデンブルク」にはナチ政権の圧力で垂直尾翼に大きな鉤十字が描かれていたが、この切手にはそれが見えない。


Comment on "(飛行船:37) ヒンデンブルクの切手"

古渡弁倶郎さん、こんばんは、いつも拙ブログにご訪問いただきありがとうございます。戦前の飛行船の記事等、大変興味深く拝見しております。
ヒンデンブルグのデッキプランをもしお持ちでしたらぜひ今度掲載していただければと思います。
若輩者ですが今後ともよろしくお願いいたします。

プニップさん、ようこそ

1999年9月1日に(株)デルタ出版から発行された「(ミリタリーエアクラフト9月号別冊)航空の黄金時代」に「ヒンデンブルク」と同型2番船のLZ−130「グラーフ・ツェッペリン」の解剖図が載っています。
ツェッペリン飛行船会社が広報資料として作成したものです。
勿論「グラーフ・ツェッペリン」と言ってもLZ-127ではなく「ヒンデンブルク」と同型船です。
この資料により「ヒンデンブルク」のAデッキ・Bデッキの様子を推察する事が出来ます。

5月に「クリスタル・シンフォニー」でギリシャからエーゲ海・アドリア海を経てベニスで下船するクルーズに乗船する予定ですが、その後フリードリッヒスハーフェンで「ツェッペリンNT」に乗ってくるつもりでいます。
そのときにツェッペリン博物館で資料を漁って来ようと思っています。
(2ヶ月前、日程を変更したのでツェッペリンの乗船がキャンセル待ちになりました)