2006年06月09日

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エーゲ海クルーズ(17) サントリーニ(1)

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22日(月)午前8時にサントリーニ島フィラ沖に錨泊した。
この島は我が国や欧米ではサントリーニと呼ばれているが、ギリシャでの正式島名はティラである。

このクルーズではここだけ沖泊まりとなった。
この島は火山である。
紀元前2000年頃は丸い大きな島であったが紀元前1450年頃の大噴火で島の主要部が吹き飛んだ。
サントリーニ島は外輪山の一部であり、本船が錨泊しているのはカルデラである。

最近では1956年の噴火で我々の訪ねたフィラやイアの町も殆ど崩壊し、現在の街並みはその後に構築されたものだという。
フィラの街はちょうど九州阿蘇の大観望のような外輪山の崖の上みたいなところである。
見出しの写真で「クリスタル・シンフォニー」の背後に見えるネア・カメニ島はパレア・カメニ島とともに16世紀以降海中から隆起した火口のある島で、右後のティラシア島は紀元前236年にサントリーニから分離した外輪山の一部である。
アティニオス・フィラ・イアからネア・カメニの火口を巡ったりホットスプリングに行くツァーも、ティラシアへ行く便もある。

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フィラの町から高さ300mの断崖を587段の階段で降りたところにオールドポートがあり、テンダーでここに上陸すればサントリーニタクシーと呼ばれるロバで登ることも出来る。
1979年に海運会社ノミコスが6人掛けのロープウェイゴンドラを6基連結したサントリーニケーブルカーを設置し、いまは楽に上下出来るようになっている。

スターライトクラブに8時15分に集合した我々は階段で4デッキまで降りた。
テンダーボートに移乗してアティニオス(ニューポート)に上陸するためである。

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そこに「タイムズ・スクェア」という銘板があった。
ただ、IDカードをチェックして持ち物を金属探知器でチェックする舷門である。
この船では網に囲まれたパドルテニスコートに「ウィンブルドンコート」、ムービーシアターに「ハリウッドシアター」などと洒落た名前を付けている。

上陸地点でバスに乗るために現地のテンダーボートをチャーターしてアティニオスに向かった。
ここでは地元の零細業者を保護するためか本船のテンダーボートの利用はさせないらしい。

バスはアティニオスの新港から九十九折りの道をピルゴスの集落まで登り、島で最も高い山上にある予言者イリアの修道院まで登った。

AirPort.jpg

そこは素晴らしい眺めだった。
東北の方向にサントリーニ空港の滑走路も見える。

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真北を眺めた図である。
手前の草むらにはエフェソスで見たのと同じ真っ赤なヒナゲシが点々と咲いている。
スロープを下った集落はピルゴス、その向こうの崖の上の町がフィラで、その先を左に行き着いたところがイアの町である。
我々はこのあとイアに行き、ヴォトナスに戻って郷土料理と民族舞踊を楽しみ、フィラに行ってケーブルカーでオールドポートまで降りテンダーで本船に戻ったが、この1葉でそれらのポイントを示すことが出来る。
遠景の島はナクソス島らしい。

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遙々と島の北端イオに来た。
この白い教会の前が街の中心スクエアである。

狭い道が迷路のように続いている。
道端で土産の小物を売っている娘さんもいる。

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崖にへばりつくようにしてホテルやレストランが続いている。
白を基調にパステルカラーで彩りをつけている。

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崖の下にはヨットやボートが浮かんでいた。

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どこを撮っても絵葉書になる。

ただ、ここで生活するのは健康で体力に自信がなければ難しいかもしれない。
階段は避けて通れないし、タクシーも車椅子も入れないところが多い。
5月から10月まで晴天続きというし飲料水は給水船に頼っているのだろうか?


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