2006年07月15日

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(飛行船:70) 『飛行船の黄金時代』 第3章:「グラーフ・ツェッペリン」(4)

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(前回からの続き)

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これと同様の大事件は1929年に実施された「グラーフ・ツェッペリン」の世界一周飛行である。

これは航空機で地球をひとまわりした2回目の世界周航であった。
最初の世界一周は1924年に2機の米国陸軍機により、69箇所に寄港しながら175日掛けて実施されている(訳者註1参照)。

ウィリアム・ランドルフ・ハーストは「グラーフ・ツェッペリン」の世界飛行に10万ドルを拠出した(訳者註2参照)。
その条件はニューヨーク港の自由の女神像を起点とし、1929年8月5日にフリードリッヒスハーフェンからレークハーストまで飛び、2日後に22人の乗客を乗せて東航することであった。

乗客の中には米国海軍の飛行船「ロスアンゼルス」の船長チャールズ・E・ローゼンダール中佐、海軍大尉ジャック・リチャードソン、ドラモンド・ヘイ女史、それに極地探検家ヒューバート・ウィルキンスがいた。

大型飛行船はフリードリッヒスハーフェンで5日間の寄港のあと ドイツの記者、ロシアと日本の政府代表を含む20人の乗客を乗せて出発した。

選定された航路は、シベリアを横断して、乗客が眼下に見える陰鬱な何もない湿地と、快適で豪華な「グラーフ・ツェッペリン」のキャビンの対比に驚嘆するように大圏コースに沿う北寄りのルートであった。

スタノボイ山脈を越えるために6千フィートまで上昇し「グラーフ・ツェッペリン」は東京に向かい、そこの霞ヶ浦海軍航空隊でドイツから移設再建された格納庫に入渠した。
フリードリッヒスハーフェンからの飛行時間は101時間49分であった。

8月23日に「グラーフ・ツェッペリン」は合衆国西海岸に向けて飛び立ち、8月25日午後4時にサンフランシスコのゴールデンゲートにドラマティックな入港を果たした。

そこからカリフォルニア海岸を南下し、次の繋留地ロスアンゼルスに着地した。

8月26日の夕刻、離陸のための上昇に失敗し逆さまになって昇降舵の操縦索に障害が起きて緊張した瞬間があった。

その後のレークハーストへの飛行は順調で、9月4日に「グラーフ・ツェッペリン」はフリードリッヒスハーフェンに戻った。

この「アメリカの」世界飛行の飛行時間は12日と11分であった。

世界注視の的であり熱狂的な雰囲気をもたらすエッケナー博士によるドラマティックな地球を一周する飛行は、乗船した20人の旅行者達にクルーズを満喫させ、アメリカの融資家の興味を呼び起こした。

これらは、もし2ヶ月以内に起きた株式大暴落がなければアメリカの資本参加する海洋横断飛行船航路を促すことになっていたかもしれない。

(続く)

(訳者註1)
1924年4月6日にシアトルを出発した米陸軍のダグラスDT-2(複葉機を改造した水陸交替機)4機にマーチン少佐等8人が搭乗して、アリューシャン・日本・インド・ヨーロッパ・アイスランド・グリーンランド・カナダを経由してシアトルに帰着した。
しかし、途中で2機を失い、帰ってきたのは2番機「シカゴ」と4番機「ニューオーリンズ」だけであった。
所要日数176日、実飛行時間371時間7分であった。

(訳者註2)
世界一周飛行には百万マルク(25万ドル)の資金が必要であった。
ドイツ政府は赤字財政であったので独占取材を条件にドイツの新聞社に当たったところ5万マルクしか予算がなかった。
これを聞きつけたアメリカの新聞王ハーストから全世界への独占報道権を15万ドルで買いたいと提案があったのである。
ドイツの新聞記者であったエッケナーとヨーロッパを除く交渉の結果、40万マルク(10万ドル)で決着したものである。
なお乗客の乗船料は20名で20万マルク(5万ドル)、不足額35万マルクは郵便料金で賄われた。

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冒頭の世界一周飛行の航跡は前出ヴァイベル・キッセル共著「ZU GAST IM ZEPPELIN」(ツェッペリン博物館刊)から転載したものである。

下の日付はレークハーストを出発した8月7日からフリードリッヒスハーフェンに到着した9月4日までとなっている。
レークハースト・フリードリッヒスハーフェン間に航跡が2本引かれているが8月7日にレークハーストからフリードリッヒスハーフェンに向かったときのものと、世界一周を終えて9月にフリードリッヒスハーフェンに帰投したときのものである。

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この写真は柘植久慶著「ノスタルジック写真集:ツェッペリン飛行船」(中央公論社刊)から転載したものである。
霞ヶ浦の海軍航空隊に移設されていた飛行船格納庫を、世界一周飛行の「グラーフ・ツェッペリン」から撮影したものと思われる。

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