2006年07月25日

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(飛行船:77) 『飛行船の黄金時代』 第6章:グラーフ・ツェッペリンの南米飛行(3)

Noronha.jpg

(前回からの続き)

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出発の明くる朝「グラーフ・ツェッペリン」は650フィート以下の高度でスペイン沿岸をジブラルタル海峡に向かって航行していた。

乗客はラウンジの右舷船窓からバルセロナ・バレンシア・カルタヘナ・マラガの目の前に迫る空中パノラマを楽しんでいた。
操舵室の海図上の通過地点はナーオ岬・パロス岬・ガータ岬であった。

ジブラルタルには岩山があり、そこの海軍基地と地中海艦隊の艦艇は大英帝国の力を象徴していた。

夜になると飛行船は仏領モロッコの不毛な海岸に沿って南西に進み、タンジール・ラバト・カサブランカ・モガドールを左舷に見て航行した。

翌朝「グラーフ・ツェッペリン」はリオ・デ・オーロ(スペイン領サハラ)の上空に達しボハドール岬からアフリカ大陸を離れベルデ岬諸島に向かった。
この日差しの降り注ぐ諸島で飛行船は毎航、諸島の中心であるポルトプライアの町を過ぎて右に舵を取り、フォーゴ島の標高9281フィートの見事な火山頂ピコダコロアを後にした。

次の夜 飛行船は南大西洋を遙かに進み、3日目の早朝さらに1260マイル南下して『神の指』と呼ばれる高さ1089フィートの切り立った尖頂のあるフェルナンド・デ・ノロニャ島に近づく。

その日の夕刻「グラーフ・ツェッペリン」はペルナンブコのレシフェの繋留柱に繋留され燃料を補給され航海中に操作された水素は入れ換えられる。

フリードリッヒスハーフェンからペルナンブコまで4233マイルの平均所要時間は70時間であった。

乗客のため飛行船は翌朝ペルナンブコの繋留柱を離れ、低出力でブラジル沿岸をバイア・ビトリアを経由して高度650フィートからの素晴らしい眺めを披露した。

船上で睡眠をとり翌朝リオに到着して、そこで下船となる。

フリードリッヒスハーフェンからリオまでの航行距離は5317マイルになる。

(続く)

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写真は南大西洋を渡って最初に目にする陸地フェルナンド・デ・ノロニャである(同書:P55)。
1934年には取り囲む海には大きな鮫の群がるブラジルの流刑の島であった。
現在はミサイル追跡基地となっている。

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