2006年07月28日

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(飛行船:79) 『飛行船の黄金時代』 第6章:グラーフ・ツェッペリンの南米飛行(5)

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(前回からの続き)

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「麗しく青い地中海」はいつでもそうであるとは限らず、この海でひどい悪天候に遭遇することもあった。

乗客にとっては、それはむしろ広大な大地を見下ろすより面白かった。
ある飛行では南東に向かってジブラルタルを目指して進んでいるとき水上で竜巻が起きて、水の噴き上げが2つ間近で2つとも海面とつながっているのが見えた。
飛行船は針路を、その水の吹き上げているところから北西にとり、それほど大荒れにはならずに済んだ。

「グラーフ・ツェッペリン」の通常の巡航速度は毎時72マイルであった。
ある飛行でペルナンブコに向かっているとき、ガータ岬沖の地中海で強い向かい風の驟雨に遭遇した。
20分間にわたり毎時67マイルの向かい風を受け、飛行船は事実上前進出来なかった。飛行船に20年以上乗ってきた古参の乗組員は、それまでこんな暴風に遭遇したのは3,4回もないと言っていた。

追い風もまた同様に強く吹くことがある。
1934年12月に「グラーフ・ツェッペリン」がペルナンブコからの帰途、セビリァに寄港したことがある。
再び地中海に向かったとき、北西の毎時45〜56マイルの追い風に遇い、そのため飛行船の対地速度は106ノットにも達した。
このシェラネバダ[訳者註1]から吹き下ろす風は極端に強い突風であった。
このような状態で44度の傾斜を経験したことがある(記録に残っている「グラーフ・ツェッペリン」の最大傾斜は49度で、これは一度きりである)。
強い空気(動)力学的な突風の荷重によって、この状況下では舵角は10度に限定された。

このような天候でジブラルタル海峡の海は非常に荒れていた。
東航している貨物船に青波[訳者註2]が船尾から打ち込み、デッキを走って船首に流れ落ちた。
あたかも船首から航跡を曳いているように見えた。

ところが船首と船尾を海面上高く反らせたスペインの漁船は、あたかもこの海象にあわせて設計したように、我々の眼下のこの漁船は海を乗り切っているように見え、海水の打ち込みは見られなかった。

アフリカ海岸に沿っての飛行では、その時点では他の方法では見ることの出来なかった僻地の眺めを見る機会があった。
船は海岸近くまで航行することは出来ず、飛行機はまだこの地域を飛んでいなかったし、道路もなかった。
我々の巡航高度から多くの、10隻を優に越える船舶が座礁して錆びた朽船になっているのを見かけた。
船乗り達に何が起きたのか、もし上陸できたとしても生き延びられたか考え込まざるを得なかった。

(続く)

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[訳者註1] シェラネバダ
シェラネバダと聞くと合衆国のカリフォルニア州とネバダ州を隔てる山脈を思い浮かべるが、ここで述べられているのはスペインのアンダルシアの海岸に近い山脈である。
アルメリアから西方マラガの方向に海岸線に並行しており主峰ムラセン岳は富士山より高く標高3482mである。

[訳者註2] 青波
飛沫でなく水塊が船上に打ち込むときに用いる表現である。
打ち込みで倉口蓋(ハッチカバー)が叩き折られることもある。
太平洋の海水はインクのように青いので日本語では「青波」であるが、大西洋の水の色はずっと薄く緑掛かっているので英語では「グリーン・シー」という。
蛇足ながら飛行機から発見されにくいように日本の潜水艦は黒塗装であったが、ドイツのUボートは灰色であった。


写真は著者が撮影したもので、アフリカ海岸の難破船である(同書:P52)。
飛行船から見えた多数の遺棄された廃船の一隻である。
もしこの荒れ地で生きていたとしてもどのように救い出せるのだろう。

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