2006年09月04日

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(飛行艇の時代:62) 大日本航空の「綾波」

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大日本航空の海洋部が南洋諸島へ定期便の運航をはじめたのは1939年春の頃であった。

横浜からサイパンを経由してパラオまでを毎月2往復していたが最初は郵便・貨物のみで旅客を乗せたのは1年後であった。

1941年11月には赤道を越えてポルトガル領チモールまで運航されたが翌月太平洋戦争が始まったため1便のみで終わっている。

計画ではトラック・ポナペ経由ヤルート、淡水・サイゴン経由バンコックなどの路線が検討され、実際に試験飛行などが行われていたが戦争勃発で実施されることはなかった。

川西大型飛行艇を主役(?)にした映画も作られた。
1942年に封切られた東宝映画「南海の花束」で、赤道を越え南半球までの長距離空路開拓の物語である。

長距離なので乗客定員は6名程度で運航されていたようである。


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