2006年11月21日

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(飛行船:158) ツェッペリンアルバム(写真:第45回) 写真62 −ロサンゼルス号のノーズコーン−

Bild62.jpg
[62枚目:「LZ-126(ZR Ⅲ:ロサンゼルス)」のノーズコーン]

このツェッペリンアルバムも264枚の写真のうち、62枚目にして建造中の一部分ながら「ZR Ⅲ:ロサンゼルス」の写真の登場である。
このアルバムでは「LZ-126(ZR Ⅲ:ロサンゼルス)」の写真が13枚含まれているがその最初の一枚である。

「ロサンゼルス」はエッケナー博士の念願であった大洋横断大型旅客用飛行船の第1船である。

「ボーデンゼー」と「ノルトシュテルン」は第一次大戦でドイツの硬式飛行船や、その建造・維持・運用にかかわる全ての施設を抹消しようとした連合国側の意図を察知したエッケナー博士がヴェルサイユ条約の発効する前に民間用飛行船として建造を急いだものであった。

その大きさも大戦末期に建造された軍用飛行船の3分の1の小さいものである。

これは敗戦で資材も資金も乏しかったせいもあるが、連合国側が飛行船の建造規制を起案してることを予測して、これに抵触して取りあげられ飛行船建造を断絶させないように小型にまとめたのであろうと推察される。

事実、1919年7月に成立したヴェルサイユ条約では『ドイツでは3万立方m以上の飛行船の建造を禁止する』ことが決まっている。

既に述べたように、1918年8月に完成した「LZ-120:ボーデンゼー」は新造時2万立方m、改造後も22500立方mであった。

しかし、アールホルンで破壊された軍用飛行船の代償として「ボーデンゼー」はイタリアに、「ノルトシュテルン」はフランスに渡さざるを得なかった。

アメリカはドイツへの300万マルクの戦時賠償請求額の代わりに新造飛行船の建造を提案してきた。
飛行船の建造施設と建造技術の温存のためにエッケナーがアメリカに働きかけたのに相違ない。

後にアメリカがグッドイヤー・ツェッペリンに発注した「ZRS4:アクロン」「ZRS5:メーコン」は格納庫に戦闘機を3〜5機搭載する空飛ぶ航空母艦であったが、この飛行船「LZ-126(ZR Ⅲ:ロサンゼルス)」は米海軍に納められたものの、れっきとした北大西洋無着陸横断旅客用飛行船であった。

エッケナーは「LZ-126」をコンパートメント方式の旅客船として完成させ、ツェッペリン飛行船製造の責任でレークハーストまで空輸してそこで引き渡す条件で設計・建造に掛かった。

この「LZ-126:ロサンゼルス」をプロトタイプとして実稼働評価用に「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」を就航させ、その実績に基づいて本格的大型旅客用飛行船「LZ-129:ヒンデンブルク」を建造したと考える。

写真は飛行船をマストに繋留するとき繋留索によりこの一点で飛行船を支えるノーズコーンである。

手前に見えているのがノーズコーンでその後に見えるのが船首材である。
ここから縦通材が船尾まで多くのリングを接合して飛行船の外形が形作られる。
軽量化を計りながら重要な部材のため剛性を確保する設計の苦労が忍ばれる。


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