2007年01月10日

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(飛行船:207) ツェッペリンアルバム(写真:第87回) 写真124〜128 −LZ-126の渡洋飛行−

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[北大西洋の航跡]

このアルバムも 第1部(第一次大戦前の飛行船:34駒)、第2部(第一次大戦中の飛行船:18駒)、第3部(第一次大戦後の飛行船:17駒)、第4部(「グラーフ・ツェッペリン」の建造状況:17駒)、第5部(「グラーフ・ツェッペリン」の内部:16駒)、第6部(「グラーフ・ツェッペリン」の運航事業:21駒)を終えていよいよアメリカを目指す渡洋飛行に入るのであるが、その前にアメリカに引き渡されて米海軍飛行船「ZR-Ⅲ:「ロサンゼルス」となる「LZ-126」の渡洋飛行の写真が第7部として紹介する。

上掲の地図は「LZ-126」の渡米飛行(破線)と、1928年の「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」の航跡を示したものである。

西航と東航で航路が大きく異なるのは偏西風・貿易風を利用するためで、飛行高度も東航では西航に較べて高く取っていた。

のちにフランスは上空から軍事施設や生産設備を探査するおそれがあると、フランス国内の飛行コースをローヌ川沿いの狭く限定された範囲に制限した(ハロルド・ディック著「超大型飛行船の黄金時代」参照)。


なお、この後は「グラーフ・ツェッペリン」に戻って第8部(訪米飛行)、第9部(スペイン飛行)、第10部(世界周航)、第11部(訪英飛行)、第12部(南米飛行)、第13部(訪露飛行)、第14部(エジプト飛行)と続き、第15部の飛行船から撮影されたドイツ国内の写真で写真の部を終わる予定である。

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[124枚目:霧の中の出発]

1924年10月12日、「LZ-126」はフリードリッヒスハーフェンを飛び立った。

出発前のウェイ・オフで重量が計画値より重く、精査したところアメリカ人の記者とカメラマンが密航しようと尾翼の中に隠れていたのが発見された。

改めてウェイオフをやり直し朝霧の中を西に向かって前進を開始した。

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[125枚目:ニューヨークのロングアイランド]

フランスを横断し、スペインをかすめてアゾレス諸島上空を通ってアメリカ大陸に到達した「LZ-126」はボストンを通過しニューヨーク上空に到達した。

そのとき船上から撮影されたロングアイランドである。

大きな道路は走っているが、まだ建屋は疎らである。

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[126枚目:霧の紐育港]

ニューヨークのハドソン川に並ぶ客船埠頭である。

背景に摩天楼が低い雲から頭を出しているのが見える。

飛行船は飛行高度が高くないので地上や海上の眺めが素晴らしかったことであろう。

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[127枚目:マンハッタン上空]

当時の10月は今よりずっと寒かったのであろう。
各ビルから立ち上る煙がそれを示している。

今から80年以上前のことである。

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[128枚目:アメリカの首都ワシントン]

ニューヨーク上空を通過後「LZ-126」は首都ワシントンに到着を報告した。

この写真は上空から見た議事堂である。

このあとニューヨークに隣接するニュージャージー州レークハーストの飛行場に着陸した。

飛行時間81時間の長時間飛行であった。

「LZ-126」はツェッペリン社の製造番号である。

レークハーストで「ZR-Ⅲ」と命名されて米海軍に引き渡されたのち、浮揚ガスの水素を抜いて不活性ガス、ヘリウムを充填された。

そのコストは水素の数十倍であったと言われている。

その後、米独合弁のグッドイヤー・ツェッペリン社で「ZRS-4:アクロン」、「ZRS-5:メーコン」も建造されたが「ZR-Ⅰ:シェナンドア」共々短期間のうちに事故で喪失し、米海軍で退役・解体まで任務を全うした硬式飛行船は「ZR-Ⅲ:ロサンゼルス」だけであった。

その後、建造された米海軍の飛行船は全て軟式であった。

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