2007年02月24日

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(飛行船:254) ツェッペリンアルバム(写真:第132回) 写真210 −カイロ(その1)−

Bild210.jpg
[210枚目:カイロ近郊のエジプト農夫の村]

このアルバムもモスクワ飛行を終えていよいよ第14部、1931年に実施されたアフリカ・中近東飛行に入る。

ここでの27枚の写真と、最終 第15部の空から見たドイツの29枚の写真についてはアルバムに解説記事はない。
ただ、付録のように番号に沿って貼付してあるだけである。

DELAGは、北大西洋横断航路もさることながら、南米・アフリカを重視していた。
南米にはブラジルやアルゼンチンに多くのドイツ人移民が渡っていたのでDELAGやLUFTHANSAは早くから航空郵便を含むこのルートを開拓、維持していた。

オリエント大飛行は1931年4月9日6時10分に、エッケナー博士の指揮の下に始まった。

往航は南米飛行やスペイン飛行のときのように、バーゼルからローヌ川沿いにマルセイユに出て、コルシカとサルディニアの間を抜けてシシリー島をかすめてエジプトに行き、エルサレムをまわってカイロから帰途はギリシャからアドリア海をラグーザ(ドブロクニク)の上空を通過してスプリトから北上してウィーン経由フリードリッヒスハーフェンに4月13日の朝7時に帰投している。

最初の写真はカイロ近くの「エジプト(シリア)の農夫村 "Fellachendorf"」である。

まわりにはナツメヤシの植林が見える。

沢山見える囲いのようなものは貯水槽なのだろうか?


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