2007年04月11日

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(飛行船:301) 『飛行船の黄金時代』 第7章:渡洋飛行の船上業務(2)

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南大西洋を越えてヨーロッパへ戻る飛行は、通常4〜5000フィートの比較的高々度を飛び、アフリカ沿岸から200マイル程度沖を通った。

低い高度では北西の貿易風が常時サハラ上空の低気圧域に生じていたが、高々度では北東の風が吹いていたからである。

しかしながら高々度ではサハラから吹く、短時間では6%にまで湿度の下がった乾燥した熱風に出会うとは限らなかった。

砂漠から吹く風の存在は、アフリカ沿岸からはるか数百マイル沖まで空気が黄色くなっているので判った。

今日では大気汚染と言うが、それは細かい埃が風によって飛ばされたものである。

この埃が、ラウンジと言わず船上の全てに付着した。

もし、これが乗客をたまらないほど不快にさせるときはもう少しましになるまで高度を下げた。

飛行船が熱く乾燥した空気帯に入ったときは、いつも熱風に遭遇した高度で乱気流が発生した。
実際、大洋上で涼しい海風から上空の砂漠から吹く熱風に遭うと飛行船は逆に上昇し、より熱い空気の入り口で重くなった。
限界線は非常にはっきりしていた。

1934年に私の乗った6回の「グラーフ・ツェッペリン」の南米飛行では、飛行船の観察と操舵室での当直で忙しかったが、少ない余暇時間には移りゆく風景を楽しんだ。

私は乗務員区画の寝室で眠り、士官食堂で食事をとった。

私は合計1196.36時間の飛行時間をこなしたが、それは距離にすると66136マイルに相当する。

(続く)

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[註]:写真はツェッペリン絵葉書コレクションからフリードリッヒスハーフェン近郊のマンツェル上空を往く「グラーフ・ツェッペリン」。
ツェッペリン伯爵の第1号飛行船「LZ-1」はマンツェル沖に設置された浮き格納庫で建造された。


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