2007年04月13日

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(飛行船:303) 『飛行船の黄金時代』 第7章:渡洋飛行の船上業務(4)

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考えてみると、アメリカ人の私が「グラーフ・ツェッペリン」で、そしてその後の「ヒンデンブルク」で何年も一緒に飛んだ親しい家族のように、乗組員に直ぐにすっかり受け入れられたことは驚きであった。

その上、彼らは決してアメリカから来た外国人のように扱わなかった。
海軍の飛行船士官が、ときどき見学に乗船した。
1934年でも、ごく少数の乗組員はナチ党員であったが、同時にエッケナー博士に全く忠誠であった。

「ヒンデンブルク」の機関長であったルドルフ・ザウターはSA(突撃隊:茶色シャツ)で熱烈なナチであった。
しかし彼は同時に立派な飛行船乗りであり、彼の立場はよく評価されていた。

彼は完全に飛行船の維持・保守と機械類の扱いに責任のある立場であった。

エッケナー博士が空軍省に呼ばれて行けなかったときに、ザウターは茶色シャツのつながりでベルリンに行き、彼の窮地を救った。

しかし、ザウターは私をすっかり受け入れてくれ、私も数回 彼とその友人と旅行を楽しんだことがある。

ただ、「ヒンデンブルク」の当直士官であったハインリヒ・バウアーは疑問符であった。
彼は薄ら笑いで、私の使命を「公のスパイ」としてマークしていた。
彼の目は笑っていなかった。

私はエッケナー博士から南米を往復する「グラーフ・ツェッペリン」の洋上の長い航行から航海の方法を学んだ。

飛行船は比較的低速なので、風の影響を受けやすい。
風の強さと方向の計測法を開発して、それを飛行船の航行するコースに適用する。

我々の実施したような低高度の飛行で、航海士は1時間毎に「グラーフ・ツェッペリン」を針路から45度向きを変える。

偏流を考慮して最初は左舷にとり、次は同じように偏流を読んで右舷に向ける。

夜間は、この偏流を読むために指令ゴンドラ後方の、飛行船の腹下に取り付けられた350万キャンドルの探照灯の助けを借りた。

風の三角形はこうして出来上がり、我々は正確な距離を確認することが出来 風の強さや方向を知ることが出来た。

我々が一度大西洋を横断したことが、この種の計算航法の正しさを証明するうってつけの例であった。

1800マイルにもわたって何も地標がなく、航法は完全にこの方法で行われた。

我々の次の地標はフェルナンド・デ・ノローニャであったが、予想時間から数分の違いで針路上にその目標を捉えたのである。

比較のために天測航法は余分なもので、ラジオ・ビーコンは大雑把で正確とは言えなかった。

当初の方針は、航行する船舶と連絡がとれた場合、その船舶の位置を訊いて飛行船の位置を海上船舶の位置との関係で補正することにしていた。

まもなく我々は、これは必ずしも正しくないということに気がついた。
というのも海上の船舶は、しばしば現在位置を正確に把握していないこともあるからである。

事実、彼らは通常25〜50マイル、彼らの考えている位置と違っていることを確認したことがある。
それで位置が一致しない場合、我々は船舶の航海士に飛行船の位置から、その位置を補正することを奨める方針をとった。

船舶の航海士は、我々と交信してもそれほど良い気分ではなかったかも知れない。

(続く)

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[註]:見出しの絵葉書は前回に続いて「グラーフ・ツェッペリン」の絵葉書コレクションの1枚である。
着陸前に剰余のバラスト水を投棄している状況である。
運転室の下に見える球形のものは緩衝器(バンパー)である。


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