2007年06月15日

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(飛行船:357) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(13)

Wetterkarte.jpg
(「ZR3が出発翌日、大西洋に乗り出した1924年10月14日の天気図)


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 ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(5)

注意深く天気図を検討した結果、通常の汽船の就航路より、幾分南方の進路を採用することにした。

北大西洋の北部は低気圧が支配しており、それが非常に強い西風をニューファウンドランドから英国南部に送っていた。

そこに突入するのは無鉄砲であった。
それで、南フランスを越えて、フィニステーレ岬からアゾレス諸島に針路を引いた。
その先には、さらに発達した天候が待っている筈であった。

この航路は、汽船の航路より700キロ遠回りになったが、飛行時間は短縮されると思われた。

飛行船の航法は、常に気象学に拠るべきであり、それが最良の結果をもたらしていた。

新型の飛行機は、その高速の故に、風向きにかかわらず最短距離を飛ぶことが出来る。

フランスは箱庭のように眼下に横たわっていた。

我々は、ある種感覚的な喜びで、石の多いブルゴーニュの葡萄園が生育しているのを見下ろし、その後 ボルドーの葡萄が延びている地域に来た。

この2つの国は、趣きがこうも違うのだろう!

昼少し過ぎに、ジロンド河口の海岸に達し、泡だって左右に広がる、陸と海を隔てる鋭く輝く分割線を見た。

我々は、張り詰めた期待でそれを越えたが、おそらく歓喜の気持ちによるものであったのだろう。

目の前に、飛行船が安全にそれを横断して行くことが出来るかという際限のない広がりが横たわっていた。
我々はその問題に、最初の証明を下そうとしているのである。

夢と希望は、達成に手の届く処にあった。

そのとき、大洋は比較的穏やかに眼下に横たわっていた。
ただ、西から寄せる長く高いうねりによって、沖から嵐を含んだ風が吹いているのが判った。

我々は、これまでのようにスペイン北西岸のオルテガル岬に向けて快適な飛行を続けた。

太陽は徐々に水平線に沈み、あたりは段々と暗くなり、広い海上でさらに神秘性を増してきた。

そこでは、多くの漁師や船員がびっくりして頭上を過ぎて行く灯りを見上げていた。

真夜中にオルテガル岬の灯台に達した。

遙か南西に、嵐の夜に危険なスペインの北西海岸で、数千人の海員を誘導したり救助したフィニステーレ岬の強力な光が輝いていた。

それは我々にとって、7000キロ離れた目的地をめざす、道しるべのない横断飛行の、固定点としてのヨーロッパから最後の挨拶であった。

目的地にたどり着けるであろうか?

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[註]
掲載した天気図はドイツ海洋研究所の発行した1924年10月24日(火)のものである(Brigitte Kazenwadel-Drews著"ZEPPELIN EROBERN DIE WELT":Delis Klasing刊)。
図中、「H」は高気圧を、「T」は低気圧を示しているが、北大西洋に勢力の強い低気圧が示されている。
ヨーロッパでは測候所の天候とともに風向・風力が示されているが、シベリアの高気圧や大西洋の低気圧は推定で示していたのであろう。


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