2007年06月17日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

(飛行船:359) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(15)

ZR3ChartTable.jpg
(ZRⅢ海図室のエッケナー博士と航海士アントン・ヴィッテマン)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ZRⅢ(ロサンゼルス)の飛行(7)

今日では、煙爆弾による航法は廃れてしまい、一部ではドリフトと速度が直接読み取れる素晴らしい望遠鏡観測や、非常に高度に改良されたシステムである無線方向探知機や、パイロットに自位置を示す信号も使われている。

しかし当時は、我々の考案した複雑な方法で満足するほかなく、それに拠っていた。
それで、誇りと、航空機で大海を渡る冒険家としての挑戦に見合う達成感の入り交じった気持ちで暗い海に飛び出していたのである。

天候は快晴であった。

時折、軽い追い風が飛行船を押し、時にはちょっと遅らせたりしていたが、この追い風は総じて弱く、我々は速度を落として燃料を節約した。

次の日の正午過ぎ、アゾレス諸島のサンミゲル島が見えてきた。

この飛行で約32時間飛行し、フリードリッヒスハーフェンからニューヨークまでの距離を、およそ半分来たことになり、この先もまっすぐ飛び続けることにしている。

既に3400キロ飛んでおり、残り3800キロを飛び続けるわけである。
燃料は、すべてのエンジンに50時間以上供給できるだけ残っていた。

このように、非常に楽観的な気分で、下に広がる美しい景色を楽しんでいた。

大海の大部分を覆う、低く立ちこめる雲が天井のように広がっていたが、その上に昇ると、高さ2300mの巨大な、島の名前と同じピコ山の頂上の壮麗な輝きが、空を滑る我々の横に姿を見せていた。

異常な光景であった。
この奇妙な山である島は果てしなく広がる霧の海に浮かんでいた。

やがて、霧は遠くに消えて行き、また下に海面が見えるようになった。

しかし、それもつかの間のことであった。

見る間に西風が吹き始め、それが強いので前方には白波が立っていた。

さらにひどくなり、風力計測では時速35キロの南西の風であった。

日没時にはさらにひどく、時速50キロに達した。

これは飛行船の前進速度が半分、向かい風に食われていることになる。

洋上で、僅か時速50キロで飛んでおり、この速度ではニューヨークまで70時間も掛かってしまう。

当然、これほど持続する風はアメリカ沿岸まで全く予想してなかった。
多少の強弱はあったが、さらに勢いを増していた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

[註1]新しい航法
最近では地球の周りに沢山の人工衛星を飛ばして、同時に受信できる衛星の信号を受信して、チャート上の位置だけでなく高度もリアルタイムで検出することの出来るGPS(Global Positioning System) が一般的に使われるようになった。
精度が高いので自動車のナビゲーションシステムにも、腕時計型の登山家用の小型もある。
第二次大戦中も、自位置を失って、海洋や砂漠に不時着する飛行機は少なくなかった。

[註2]挿絵
Brigitte Kazenwadel-Drews著 "ZEPPELIN EROBERN DIE WELT"(Delius Klasing刊:2006)から転載。
この資料でも出発は濃い霧の立ちこめる10月12日とされている。

Comment on "(飛行船:359) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(15)"

"(飛行船:359) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(15)"へのコメントはまだありません。