2007年06月29日

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(飛行船:371) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(27)

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(朝食前に大傾斜で狂乱状態: Brigitte Kazenwadel-Drews著 "Zeppelin erobern die Welt" )

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 グラーフ・ツェッペリンの最初の飛行(7)

それから8〜10時間、同じように快適な飛行を続けていたが、夕方遅くにはアゾレス諸島のテルセイラの南 約250浬に来た。

天候情報を得ようと、その島の無線局と交信を行った。

そこで得た情報は、あまり嬉しいものではなかった。

大西洋沖の低気圧から南に延びた驟雨前線がその島に近接しつつあると言うことで、我々も悪天候を覚悟しなければならなかった。

1時間後にはひどい雷雨のためにその局との交信が途絶してしまった。

事実、北の夜空に鮮烈な稲妻を見たが、それは徐々に強くなっていた。

真夜中にかけて、北天全体が絶え間なく炎のような稲妻に覆われていた。

それは壮大な光景ではあったが、同時に気掛かりでもあった。

どうやら冷たい気流がずっと南まで及んでおり、いずれ飛行船も捉まるだろうと思った。
我々の局地観測では、飛行船に好影響をもたらしていた東よりの風が弱まり、南に向きを変えたに違いないと思われた。

明らかに、気象擾乱が行く手に横たわっており、間違いなく驟雨前線が北のサイクロンから押し出されて、この南海上空の湿った気団が乱気流を起こしており、驟雨が来るものと考えねばならなかった。

既に飛行船が非常に悪い天候状態にも持ちこたえることと、海上での驟雨は陸上に降る場合ほどひどくならないことを知っていたので、そのことよりも、数時間後に起こる事態に大きな緊張を感じたと認めざるを得ない。

それも理論上のことであり、実際の経験で確認されなければならず、その意味では経験が不足していた。

その後、1時間か2時間 穏やかな天候のなかを飛んでいた。

北の嵐は全体的に後方に残ったが、蒸し暑く、南風が強くなってきた。

これは大変いやなことであった。
何か起きたとき、気圧や風速など気象データに惑わされることがあるからである。

そして事実、朝6時前に前方に青黒い雲の壁が脅かすように居座っていた。

それは飛行船の前方に凄い速度で北西から押し寄せ、グラーフ・ツェッペリンは75ノット(時速140キロ)の全速で、それに向かって突進した。

グラーフ・ツェッペリンの構造に厳しい試験が待ち受けていたのは明らかであった。

私は、最も経験のある昇降舵手ザムト氏を呼びにやり、経験の浅い操舵手に代わって操作してくれるように頼んだ。

しかし、操舵手が交替する前に、飛行船は船首を下げ、一瞬の後突然上向きに持ち上げ、15度以上の傾斜で船首が持ち上がった。

この傾斜で、当直はデッキを滑り降り、狂乱状態になった。

朝食のテーブルにセットしてあった食器類は滑り落ちて砕け、キッチンポット・フライパン・湯沸かしなどが音を立ててコンロから落ち、デッキ上のカップボードやドアにぶつかった。

この雷鳴が激しくなる騒音のなかで、もし船体構造が砕けることなど想像することさえ出来ない。

我々は黙って、次は何が来るかと互いに様子を窺った。

しかし、何事も起きなかった。

その後、船体を上下にも左右にも揺らしながら驟雨の中を2〜3回飛ばなくてはならなかったが、何とか飛行船を制御し、まもなく嵐もおさまってエンジン出力を半減させて前進を続けた。

私は非常に満足であった。
この蒸し暑い大海で、おそらく北大西洋でも最も過酷な驟雨を乗り切ったのである。

あのとき、船尾が持ち上げられた主な原因は、不慣れな昇降舵手が、船首が持ち上がり始めたときに、それを抑える操舵が遅れたためだと思っている。

こうして、船首の持ち上がりを体験し、経験を強化したのである。

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[註1]テルセイラ
アゾレス諸島にある島の一つ。
現在NATO軍の基地が置かれている。

[註2]ザムト氏
アルバート・ザムト(1889−1982)。
後に船長となり、「ヒンデンブルク」の同型船であるヘリウム船「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」の指令となった。

[註3]昇降舵手
エッケナー博士は昇降舵手が最も適性と経験を要する配置と思っていた。
気圧や気流の変化を先読みし、実際に船体がそれら外乱に応答する前に昇降舵を操作する必要があると考えていたからである。

[註4]グラーフ・ツェッペリンの厨房・食器
「グラーフ・ツェッペリン」の厨房は火が使えないため、電熱器であったが、その電力は左舷側の無線室と同様、厨房の横に付けられていた風力発電機であった。
食器類はハインリヒ窯業社から寄贈された、「LZ」のイニシャルの入った素晴らしいセットであった。
フリードリッヒスハーフェンのミュージアムにはシュガーポットが保管されている。


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