2007年07月31日

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(飛行船:405) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(59)

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(シベリア航跡図)

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 世界周航(12)

そこで東に転舵しておよそ1時間飛行したあと、ツングースカ川に出た。

そこからヤクーツクを目指して東を目指した。

北緯64度線まで北上すると、経線を通過するのがとても早くなり、7時間毎に1時間 時計を進めねばならなかった。

このことで、船内の生活にも相当な混乱が生じた。

食事時間の間隔がどんどん短くなり、その結果 いつも食欲旺盛であった乗客ですら、飲食を「またか」と怯えていた。

幸いにも、この件で反乱は起こらず、次の日は南に進んだのでその危険性はなくなった。
しかし、別の問題が生じようとしていた。

我々は、この地区の何処かに 2〜3年前に巨大な隕石が落ちたことを知っていた。

爆風が大地に途方もないクレーターを穿ち、そのとき吹き飛んだ風であたりの森林の木々をなぎ倒したのである。

そのクレーターを飛行船から是非 観察し、撮影したいと思った。

しかし、残念なことに その正確な位置が判らなかった。

乗船者のなかで厳密な位置を知っている人は居なかったのである。

そして まだ怒っているロシア政府代表は何も情報を教えてくれなかった。

それで、非常に残念ながら とても興味のある写真撮影を断念しなければならなかった。
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[註1]世界周航・航跡図
見出しの挿絵はダグラス・ボッティング著「エッケナー博士の夢の乗り物」から転載した。
白い線が昼間航行した区間、黒は夜間航行した区間であり、日時は中央ヨーロッパ標準時で示し、下線を付けた数字は現地の日付である。
8月17,18日は北緯60度線を越えて相当北を飛んでいたことが判る。

[註2]ツングースカ大爆発(ウィキペデアによる)
1908年6月30日の現地時間で午前7時2分、ロシア領中央シベリア、エニセイ川の支流低ツングースカ川上流で起きた天体爆発である。
ツングースカ事件とも言われる。
巨大な爆発であったが近くに村がないため公表された死者は1名であった。
強烈なエアバーストが発生し、半径30kmにわたって森林が炎上し、約2150平方kmの範囲で樹木がなぎ倒された。
1000km離れた家の窓ガラスも割れたと言う。
破壊力はTNT火薬にして10〜15メガトンに相当するという。
キノコ雲は数百km離れた場所でも観測され、ヨーロッパで白夜のような状態が数ヶ月続き、衝撃による地震や大気圧の変動も報告されている。
地球に落下した天体が爆発したと見られるが、隕石孔や隕石の断片は発見されていない。地球に落下した質量約10万トン、直径60〜100mの天体が地表6〜8km上空で四散したと見られる(隕石、彗星、小惑星説あり)。
日露戦争のあと、ロシア革命の前で社会が非常に混乱していたため現地調査が行われたのはグラーフ・ツェッペリンの世界周航の前後になってからである。
「2〜3年前」のような表現になったのはこのためかも知れない。

1947年にもロシアに大きな隕石が落下している。
シホテリアン山に落下したのでシホテリアン隕石と呼ばれる。


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