2007年08月12日

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(飛行船:415) エッケナー博士とツェッペリン飛行船(67)

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(「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」:ツェッペリン・アルバム(タバコカード集)から)

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 世界周航(20)

さて、ここから良い気流を探さなくてはならない。

東京で日本の提督が、一年のうちこの時期は大圏コースを通る最短航路にそって、いつも深い霧が出ると話していた。

それは、このコースに沿って北西の風が湿気が多く暖かい赤道海流に吹き込むからである。

この西風を探さなくてはならない。
そうすれば自然に、そのときの最短コースに最も好ましい風が見つけられるに違いない。

それで雷雨前線を通過してまもなく、それまで取っていた東向きから東北東に針路をとった。

概ね南東からであったが、くるくる変わる風の中を、北緯35度から36度、37度と上り、46度にまで達した。

北緯44度、東経175度で太平洋横断飛行で3度目の西風域に入った。
その風は、殆ど飛行の最後まで飛行船に続いていた。

この区間の飛行の最初の3分の1で29時間飛行し、平均速度は時速115kmであった。

残りの3分の2には38時間要したのみであり、平均時速は140kmであった。

少なくとも終わり3分の2の半分は、深い霧や密雲の中を飛ばねばならず、位置を確認することが全く出来なかった。

それで気温の変化から、雲あるいは霧の中を西風に乗って走行していると判断せざるを得なかった。

気温はだんだん低下して行き、北東に針路を向けたときの18℃から10〜11℃に下がり、アメリカ沿岸に到達したときに通過した驟雨前線までその気温が持続した。

このとき日本の汽船に遭遇し、位置を確認したところ、注意深く設定した航路からおよそ270kmも外れていたことが判った。

24時間のあいだに霧の中を飛び、西風が我々の計算より時速にして11kmも速く吹いていたのである。
この誤差は嬉しい驚きであった。

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