2008年10月18日

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夢の飛行船「LZ-129/130」

LZ130Klant.jpg

硬式飛行船について文献調査を行っているが、今日改めて「LZ-129:ヒンデンブルク」と「LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」が本格的渡洋旅客飛行船であることをつくづく実感した。

DELAGは1909年から「LZ-6」、「LZ-7:ドイチュラント」、「LZ-8:ドイチュラント(Ⅱ)」、「LZ-10:シュヴァーベン」、「LZ-11:ヴィクトリア・ルイゼ」、「LZ-13:ハンザ」、「LZ-ザクセン」の各飛行船で遊覧飛行を行い、乗船料を支払った乗客1万人以上、乗組員等を含めた総数で3万4千人を乗せて飛行していた。

そのとき既に、船上でワインやコニャック、それにキャビアやフォアグラ、ピーチメルバなどをサービスしていたが、乗客は吹きさらしのゴンドラで籐椅子に座っていた。
とても旅客飛行船とは言えない。

その意味で、第一次大戦後の「LZ-120:ボーデンゼー」が旅客用硬式飛行船の原型である。
この飛行船はツェッペリン最初の飛行船「LZ-1」よりも短く、とても洋上に出ることは出来なかった。
それでアメリカ海軍への賠償として建造許可を受けた「LZ-126:ZRⅢ(ロサンゼルス)」で大型化して、マグネットコンパスやジャイロコンパス、それに偏流測定法などを開発して洋上航法の可能性を確認した。
その上でツェッペリン・エッケナー義捐金を立ち上げて建造した「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」で10室の個室キャビンやダイニング兼ラウンジで航洋客船のような居住性を確認したのである。

その手順を踏んで「LZ-129:ヒンデンブルク」と同型船「LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」でエッケナー博士の言う『夢の飛行船』を実現した。
これは今月はじめのこのページでも述べた。

しかし、「LZ-129/130」は「LZ-127」の単なる拡大改良型ではなかった。「LZ-127」の拡大改良型は「LZ-128」であった。
ガス容量は「LZ-127」の1.5倍で、同船と同じエンジンを8基装備し、30〜34名の乗客の居住区は船内に2区画に分かれて設けられていた。

しかし、イギリスの飛行船「R101」がエジプトに向かって飛び立ち、フランスで炎上墜落するとツェッペリンは「LZ-128」の建造を取りやめ、不活性ガスヘリウムを浮揚ガスにした「LZ-129」型を設計し建造に着手したのである。

そればかりではない。マイバッハはガソリンエンジンより安全な航空用ディーゼルエンジンを開発し、ツェッペリンがこれを推進機関に採用したのである。

しかし、当時唯一のヘリウム生産国であったアメリカは飛行船の軍事使用を懸念して輸出を許可しなかった。
このため、水素船として運用されることになり、浮力差をコンペンセートするためにピアノが搭載されることになった。

レークハーストの大惨事のあと、ヘリウムの輸出が認められ、姉妹船「LZ-130」はツェッペリンで唯一のヘリウム船として完成したが、エッケナー博士は旅客を乗せて運航することを認めなかった。

「LZ-130:グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」はアルバート・ザムトの指揮の下で、30回の飛行を行ったのち、空軍大臣ゲーリングの命令によってフランクフルトの格納庫で解体された。

この絵はがきはドイツのクラント機長から譲り受けたものである。


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