2008年10月21日

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フリースラントとブローム&フォスHa139

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ワールド・シップ・ソサエティの機関誌「Marine News」の62巻10号(2008年10月号)に珍しい写真が載っていたので再掲する。

この写真は1937年6月にフリースラントがキールの造船所で完成した直後にルフトハンザから公開されたものであるという。

ルフトハンザは当時、新大陸とのエアメールを扱っていたが、大西洋を無寄港で渡れる飛行機はなかった。

それで、アゾレス諸島のファヤル島に中継船を配備して、水上機をここに途中着水させて整備・点検と燃料補給を行って目的地に向かって発進させたのである。

使用された航空機はブローム&フォス社の4発水上機Ha139である。

ブローム・ウント・フォス社は近代的旅客船「オイローパ」を建造した造船・造機会社で特徴のある航空機も製造していた。
航空機部門は当初、ハンブルガー航空機製造と言っていたため同社の航空機には "Ha-"の記号がふられている。

Ha139は郵便専用の航空機であったが、当時大出力の航空機用エンジンがなかったために600馬力のユンカース Jumo205c を4基搭載しており、長い滑走路のないところでも運用できるように大きな双浮舟をつけた水上機として開発された。

初号機、2号機はヨーロッパからアゾレス諸島経由ニューヨークへの便に用いられ、3号機はイギリスの植民地であったガンビアのバサースト(現名:バンジュール)とブラジルの間を結んでいた。

Ha139は結局3機しか製造されなかったが郵便飛行の回数はあわせて100回を越えている。
第二次世界大戦が始まると、機首を延長して観測窓を設けたり、機銃を装備して洋上哨戒や機雷の掃海に従事したという。

南大西洋も広いため、中継船が配備されていたが、中継船がドック入りのため引き上げたときには南米まで定期運航していた「LZ-127:グラーフ・ツェッペリン」が繋留マストのないバサーストまで、持っていった郵嚢を投下し、地上からフックで引き上げながら南大西洋を往復して郵便業務支援を行ったことがある。

マリンニュースに載った写真はあまり鮮明なものとは言えないが貴重なものである。


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