2008年12月02日

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飛行船四方山話(27):ツェッペリン飛行船の主任設計者

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ツェッペリン飛行船の主要人物の1人。

[区分] 人物・主任設計者
[級]  初級

[問題]
最初のツェッペリン飛行船の建造時からかかわり、実際に建造された119隻のツェッペリン飛行船のうち、118隻の主任設計者を務めたのは誰でしょう?

 1.テオドール・コーベル
 2.カール・シュタール
 3.ルートヴィヒ・デューア
 4.カール・ボイエルレ

[答] 3

[解説]
ルートヴィヒ・デューア博士はシュトットガルトの葡萄園経営者夫妻の8人の子供のうち3番目として生まれ、シュトットガルト王立建築学校(現在のエスリンゲン工業専門大学)付属の高等機械製造学校で学びました。
在学中にツェッペリン伯爵は彼を招いて建造中であった最初のツェッペリン飛行船「LZ1」を見せています。
エッケナー、コルスマンなどの逸材を見出してその能力を発揮させる能力のあったツェッペリン伯爵が若い技師にひらめきを感じたのかも知れません。
その後、事故続きのどん底で給与も保証されない状態からアルミニュームの組合せ桁や、外被などの研究を行い、自費で世界初の風洞を作るなどして飛行船の開発に一生を捧げました。
フリードリッヒスハーフェンで最初のオートバイ乗り、気球乗り、それにドイツ・アルプス協会のフリードリヒスハーフェン支部の設立にも尽力しています。
非常に謙虚な人物だったようです。

コーベルは「LZ1」を建造するにあたってダイムラーから来て構造設計を担当した人物です。

カール・シュタールはデューア博士の有能な後継者と目されていましたが、第一次大戦後飛行船の製造が禁止されたので飛行艇メーカーのドルニエに移りましたがその後もツェッペリン飛行船の味方でありました。

カール・ボイエルレは飛行船に乗務する飛行エンジニアでした。グラーフ・ツェッペリンが世界周航の途上、霞ヶ浦で格納庫から引き出す際に損傷しましたが、先遣されて準備を整えていたボイエルレのおかげで数時間で復旧し、そこから乗船してフリードリッヒスハーフェンに帰っています。

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