2009年02月10日

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飛行船四方山話(97): ドイツ以外の硬式飛行船(12)

R101_1.jpg

イギリスの硬式飛行船(11)

[区分] 一般・歴史
[難易度]上級

[問題]
世界にまたがる英帝国を結ぶ飛行船運航を始めるために、R100とともに建造された飛行船R101の設計には様々な新機軸が盛り込まれていました。
次のなかにR101に適用されなかった事項が一つ含まれています。
それはどれでしょうか

 1. 船体構造部材の半分以上、鋼(含ステンレス)製であった。
 2. 硬式飛行船で、唯一フレーム配置が不等間隔であった。
 3. 縦通材は15本の主縦通材と同数の補助縦通材から構成されていた。
 4. 降着用車輪が設けられていた。

[答] 4

[解説]
1921年に英帝国議会でエジプト、インド、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドまで広がった植民地を接続する飛行船航路が計画されたのち、保守党政権と労働党政権が幾度か交替しながらも飛行船プロジェクトは推進されて行きます。
そして1924年に当時世界最大級の飛行船を2隻建造することになり、1隻は官営飛行船工場(RAW)に、もう一隻はヴィッカースの設立したエアシップ・ギャランティ社に発注されました。
RAWは、アメリカ海軍発注のR38(米海軍のZR2になるべき飛行船)が旋回試験中強度不足で破損、墜落したことを気にするあまり、構造部材の60%にステンレス鋼を採用しました。
このため、1929年10月14日の初めての試験飛行で性能不足が露呈し、船体を延長してガス嚢を16から17に増設する大改造を行いました。
当初の設計でガス嚢の容量を揃えるためにフレームを不等間隔に配置したことも硬式飛行船で初めての試みでした。
船体の縦通材にメインと補助を交互に配置することはLZ127:グラーフ・ツェッペリンでも採用しています。
イギリスの飛行船はよく写真で見られるようなハイマストに繋留してるので、R101にも降着用車輪は装備されていません。

改造後、ただ一度17時間の試験飛行を行ったのち、1930年10月4日に航空大臣であったトムソン卿や民間航空局長など要人を含む乗員・乗客56名を乗せてカラチを目指して最初の寄港地イスマイリアに向けて飛び立ちました。

そして翌5日の午前2時頃、フランス北部のボーベ丘陵に墜落炎上し、後部エンジンゴンドラに乗っていた8名を除いて死亡しました。

設計、建造、試運転などで信じられないようなミスを重ねてきた飛行船の最後でした。

この事故でイギリスは飛行船の運航を諦め、成功作であったR100も解体されました。

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