2009年02月22日

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飛行船四方山話(109): ルートヴィヒ・デューアは飛行船指令を務めたか?

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「LZ2」以降すべてのツェッペリン飛行船の設計主任・・。

[区分] 人物・デューア博士
[難易度]中級

[問題]
ツェッペリン飛行船の主任設計者として高名なルートヴィヒ・デューアは飛行船指令を務めたことがあるでしょうか?

 1. 設計・建造の技術者であり、運航に携わったことはない
 2. 「LZ6」のみ指令を務めた
 3. 「LZ7」で一度だけ指令を務めたことがある
 4. 「LZ6」と「LZ7」の指令を担当した

[答] 4

[解説]
ツェッペリン研究家であったクラインハインス教授の著書によれば、シュトットガルトの王立建築学校(現在のエスリンゲン工業専門学校)付属の高等機械製造学校に在籍し、アーレンにある鉄道監査部の技術部やヴィルヘルムスハーフェンの海軍工廠で実習を終えたルートヴィヒ・デューアは、ツェッペリン伯爵に招かれて「LZ1」の建造と飛行船の基本概念を知りました。
「LZ1」の試験終了後、飛行船も水上格納庫も解体され、会社も解散して伯爵とデューアのほかには2人の夜警しか居なかったと言われています。
そこで給料も滞りがちな中で、彼は軽金属のフレームを考案したり、外被の強度実験などを行っていました。
伯爵は当然、毎回飛行船には乗っていました。
「LZ1」、「LZ2」、「LZ4」では自身が指令を務めましたが、「LZ3」、「LZ5」ではシュパーリング少佐に指令を委ねています。
その後の「LZ6」、「LZ7:ドイチュラント」はデューアが指令を務めています。
しかし、その後広報担当役員であったエッケナー博士が飛行船の運航を学び、船長資格を取得して「LZ8:ドイチュラントⅡ」の指令になってからは飛行船の指揮をとることはありませんでした。
彼は飛行船に乗って運航を担当するより、設計に専念する方が向いていたし、それを望んでいたのではないかと思われます。
彼は自転車やオートバイが好きで、フリードリッヒスハーフェンで初めてのオートバイ乗りでしたが、高齢になるまで自転車で通勤していたと伝えられています。
彼はまた、気球乗りや山歩きも好きで、ドイツ・アルプス山岳協会フリードリッヒスハーフェン支部の協同設立者に名を連ねています。

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