2009年02月26日

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飛行船四方山話(113): 北極飛行に乗船した学者達

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ノビレは乗せて貰えなかった・・。

[区分] 運航・北極飛行
[難易度]上級

[問題]
「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は1931年7月に北極探検飛行を行いました。
このとき乗船していた科学者は何ヶ国から何人乗船していたのでしょうか?

 1. 3ヵ国、12名
 2. 4ヵ国、15名
 3. 5ヵ国、18名
 4. 6ヵ国、20名

[答] 2

[解説]
探検家/人道主義者として著名であり、1922年にはノーベル平和賞を受賞したフリチョフ・ナンセンは科学者であり、ノルウェーがスウェーデン統治から独立を回復した際に貢献した国際的な政治家でもありました。
そのナンセンが飛行船を用いた北極探検をツェッペリン飛行船のエッケナー博士に持ちかけました。そして1926年に「飛行船による国際北極探検協会(略称:エアロアークテック)」が設立されました。
具体的に準備している時期に、エアロアークテックの会長であったナンセンが突然亡くなり、エッケナー博士が後任の会長に指名されました。
エッケナー博士は「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」の運航を軌道に乗せる時期で多忙を極めていましたが、ほかに適任者も居ないため会長に就任しました。
計画が具体化するなかでウンベルト・ノビレが同行を申し入れてきたが、ノビレは半硬式飛行船による北極探検で遭難し、救助に向かったアムンゼンが行方不明になっていることもあり、エッケナーは参加を断っています。
「グラーフ・ツェッペリン」はフランツ・ヨーゼフ・ランドの島影で待つソ連の砕氷船「マリギン」の近くの海に着水し、郵嚢交換を行っています。このとき「マリギン」から来たボートの先端にはノビレが居ましたが、エッケナー博士は天候が急変するというのでそのまま離翔しています。
このとき「グラーフ・ツェッペリン」にはドイツからカロルス教授ら9名、合衆国から海軍のスミス少佐ら2名、ソ連からザモイロヴィッチ教授ら3名、スエーデンからリュングダール博士など、全部で15名の科学者が乗船していました。
フリードリッヒスハーフェンで衣類や食糧を積み込んで高度差が400mのベルリンに行き、浮揚できるまで燃料を積み増して出発しています。


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