2009年02月28日

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飛行船四方山話(115): 「ヒンデンブルク」の垂直尾翼

LowerFin1.jpg

ナチのプロパガンダ飛行に出発するときであった・・。

[区分] 運航・事故
[難易度]中級

[問題]
1936年3月29日にドイツではナチ政権を支持するかどうかを問う国民投票が行われました。
このときにツェッペリンの飛行船も動員されて「グラーフ・ツェッペリン」と「ヒンデンブルク」が2隻で国内をプロパガンダ飛行したことは有名ですが、このとき「ヒンデンブルク」が無理な離陸をしようとして垂直尾翼に損傷を与えています。
このとき「ヒンデンブルク」を指揮していたのは誰でしょうか?

 1. フーゴー・エッケナー博士
 2. エルンスト・レーマン船長
 3. H.C.フレミング船長
 4. ハンス・フォン・シラー船長

[答] 2

[解説]
プロパガンダ飛行のために「ヒンデンブルク」がレーヴェンタール発着場を離陸する時刻は午前4時に設定されていましたが、吹き下ろしの風が強く出発する時刻を2時間遅らせました。
6時になっても風はおさまらず、エッケナー博士は出発を制止したのですが「ヒンデンブルク」を指揮していたレーマン船長は飛行船を格納庫から曳き出させました。
離陸準備が完了する前に予備静止索が外れ、船首をまだ前部牽引車のまわりの地上支援員たちが押さえていたのに船尾が立ち上がってしまいました。
前部要員は牽引車を止めることが出来ず走り去ってしまいます。
「ヒンデンブルク」は14度の傾斜で上向きとなり、下部安定板と方向舵を地上に当てて損傷してしまいました。
一時的に操縦不能になった飛行船は自由気球のように場外に浮遊して行きました。
船上で応急処置がとられ、約3時間後になんとかレーヴェンタールに着陸することが出来ました。
「ヒンデンブルク」は格納庫に引き入れられて、損傷した方向舵の下部2mを切り取るなど10時間にわたる緊急補修工事を行い、翌日「グラーフ・ツェッペリン」に追いついています。

3日間のプロパガンダ飛行から帰ったレーマン船長は、立会人の面前でエッケナー博士からひどく叱責されました。
「レーマン君、あの風の中で飛行船をどう操作しようとしたのか?君は世界中でも馬鹿馬鹿しいこの飛行を延期する言い訳が幾らでも出来たはずだ。君が飛行船を危険に曝したのは、ただあのゲッベルスの機嫌を損ないたくなかったためだけではなかったのか?」
宣伝相ゲッベルスが記者会見を開いて、エッケナーの名前も写真も新聞に掲載するなと指示したのはこの後だったと言われています。

損傷した垂直尾翼を撮影したカメラはすべて取り上げられ、フィルムは抜かれましたが、グッドイヤー・ツェッペリンから派遣されていたハロルド・ディックが撮ったものが残されていました。
補修後の写真も回収・破棄されたはずですがチェック漏れの、垂直尾翼下端が斜めに切り取られている写真が絵はがきなどに使われています。


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