2009年08月17日

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ハドソン河で蒸気船の試運転

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アメリカ人肖像画家ロバート・フルトンは1786年、イギリスに渡ってベンジャミン・ウエストの弟子になった。

その頃のイギリスは産業革命の時代で、フルトンはいつの間にか絵画より産業技術に興味を持つようになった。

運河の水位を変える二重傾斜板、大理石切断用鋸、機雷などを考案して特許を取得したり、手動潜航艇をフランスに売り込んだりしている。

試作した蒸気船をセーヌ川で実験して失敗したが、駐仏米公使ロバート R.リヴィングストンに認められ実験を継続し、フランスやイギリスに売り込んだがこれも相手にされなかった。

アメリカに帰ってハドソン川筋の造船所に蒸気船を発注した。
口径61センチ、ストローク122センチの蒸気機関の出力は20馬力で、ボイラーは薪焚きであった。

1807年8月17日の午後1時にニューヨークを離岸し、上流のクラーモントに向かった。
正式船名は「ノースリバー・スティームボート・オブ・クラーモント」であるが長いので「クラーモント」と呼ばれていた。

クラーモントまでの110マイルをちょうど24時間で走航し、翌18日の午前9時にクラーモントを出発し、さらに上流のオルバニーに向かい、午後5時に到着している。
ニューヨークからの通算距離150マイルを32時間で航行し、この間の平均時速は4.7マイルとなる。

その2週間後からニューヨークとオルバニー間で営業航行を開始しているが、このときフルトンはニューヨーク州における蒸気船による河川運送営業の独占権を獲得している。

後にこの独占権は問題となり、法廷においてアメリカ国内の可航水域の営業権は連邦政府に委ねられることになったが、リヴィングスト・フルトン蒸気船会社の営業独占権が消滅したのは1824年であったという。

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