2009年11月24日

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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航の乗客と乗組員

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フランクフルター・ツァイトツンクの特派員マックス・ガイセンヘイナーが「グラーフ・ツェッペッリン」の世界周航に乗船した1929年に発行した乗船記(写真集)には、乗客や乗組員の名簿が掲載されている。

乗客については乗船区間も記されおり、貴重な資料である。
しかしながら、大スポンサーのハースト新聞特派員カール・フォン・ヴィーガント氏の名前が欠落しており、他の資料と照合することも必要であることも示している。

日本人ではフリードリッヒスハーフェンから霞ヶ浦まで乗船した大阪朝日新聞社の北野特派員、大阪毎日新聞社の圓地特派員、霞ヶ浦からロサンゼルスまで乗船した電通の白井特派員の乗船記も新聞に連載したり、後日書籍として発行されている。

ガイセンヘイナーによれば区間乗船したのは日本人とロシアの政府代表カルクリン氏くらいで、大部分の乗船者は世界周航をしていることが判る。

乗組員も途中まで乗船したものや、カール・ボイエルレのように途中から乗り込んだものも居る。
ハンス・フォン・シラーの著書には霞ヶ浦出発以降の乗務員名簿が載っているが、そのなかに首席通信士ワルター・ドムケの名がなかったが、ガイセンヘイナーの著書には掲載されている(但し、乗務員については途中の乗下船の記述はない)。

3直15名の操機手やスチュワード、コックを含めた乗務員の姓名も確認できた。

運航責任者であったフーゴー・エッケナー博士はレークハーストからレークハーストまで指揮をとっていたが、レークハーストで下船したあと、フリードリッヒスハーフェンへの帰途はエルンスト・レーマンが指揮を取った。

写真はアメリカの世界周航の起点であり、終点とされたレークハーストで着陸を待ち受ける人達である。


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