2009年12月19日

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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(8)

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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航の乗客1人あたりの乗船料は10000ライヒスマルク(2500ドル)と設定されていたが、実際に料金を支払って乗船したのは2人だけであり、ほかの18名は通過各国の政府代表と、報道権を購入した新聞社、出版社の特派員であった。

大阪朝日の北野記者は、フリードリッヒスハーフェンを出発した日の夜に、電報2通の発信を依頼したが、翌日の昼になってフォン・シラー船長がキャビンに原稿を持ってきたという。
北野氏のレポートによれば「日本語の電信だったのでドイツの陸上局でなかなか早く受信できず3、4度も飛行船の方に聞き返すので、1通の送信に1時間を費やした揚句、結局尻切れとんぼになった、つまり社へあてた電報2通は送信不可能に終わったという説明、それを12時間も過ぎた今になって通告するのもしゃくに触るが、元来無電局は天候通報が主で、その余力で一日のうち5時間程新聞電を取扱ふのださうだ、ところが今度乗込んだ新聞記者十人が矢たらに電報をだすので無電局は消化不良、結局1電は二、三十語乃至五十語以下、然して英文にするといふ所に話が極まる。」ということであった。

「グラーフ・ツェッペリン」の無線室は、その当時の航空機として最新鋭のものが装備されていた。
3人の無線通信士が、そこで地上局や船舶との通信を行い、無線航法を実施し、気象予報を受信し、乗客のための個人的電報も送信していた。
1KWの真空管式送信機(アンテナ出力で約140W)が波長500〜3000メートルの長波で、電報の送信に使われていた。
アンテナ出力70Wの緊急用送信機は波長300〜1300メートルで、蓄電池でもガソリン発電機でも駆動することができ、電報にも無線電話にも使うことが出来た。
主アンテナは2本の120メートルの、先に錘の付いた電線で構成されており、モーターでも手動ハンドルでも降ろすことができた。
緊急用アンテナは40メートルの電線で、飛行船船体のリングに張られていた。
3台の高級受信機はそれぞれ6球で、波長120〜1200メートル(中波)、400〜4000メートル(低周波)、3000〜25000メートル(低周波と超低周波の重複波用)であった。
それに加えて、無線室には波長10〜280メートル(高周波)用の短波受信機もあった。
大型旅客船で無線航法に使われる、飛行船の位置を陸上か船上に設置された2個所の無線発信器から、回転可能なリングアンテナによって決定できる最新式方向探知機も装備されていた。
1928年10月に、この飛行船が大西洋を渡ってアメリカ合衆国へ航行中に、その無線室から484本の個人電報と160本の報道電報が送信されたという。

北野記者、圓地記者、それに海軍の藤吉少佐が下船した霞ヶ浦からは、電通の白井記者、海軍の草鹿少佐、陸軍の柴田少佐がロサンゼルスまで乗船したが、このとき白井記者は伝書鳩を約20羽持ち込んだ。
欧米では報道に伝書鳩を使っていなかったようで、外国の記者も霞ヶ浦出発の1、2時間後に鳩を放ったという。

エッケナー博士もツェッペリンから鳩を放すのは初めて経験であると非常に興味を示したと白井記者は報じている。

写真は電通の白井同風記者である。

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