2010年01月06日

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「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時の乗船客(10)

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世界周航時にはイギリスの極地探検家、ヒューバート・ウィルキンス卿も乗船していた。
彼の乗っていた部屋が何処で、同室が誰であったかは判らない。

1931年に「LZ127:グラーフ・ツェッペリン」は、有名な北極探検飛行を行っているが、これはノルウェーの探検家フリチョフ・ナンセンが1926年に設立した「飛行船による国際北極探検協会(略称:エアロアークテック)」の活動として行われたものである。

その協会の事務局長を通じて1928年にエッケナー博士に北極海地理探査の現実的手段として飛行船に勝るものはないとして「グラーフ・ツェッペエリン」を使用することを打診してきた。

そのとき、エッケナー博士は「グラーフ・ツェッペリン」を維持してゆくために運航計画や資金調達で多忙を極めていたがこれを了承したのである。

ところが1929年にナンセンが突然亡くなり、エアロアークテックの役員会はエッケナー博士を会長に指名した。

北極探検飛行については別項で述べるつもりであるが、このとき突拍子もない提案をしたのがウィルキンス卿であった。

「グラーフ・ツェッペリン」が空から北極点に向かうとき、ウィルキンス卿は潜航艇で海底から北極点に行き、氷を割って水面に出て、そこで乗客と郵嚢を交換しようというものである。

ウィルキンス卿は米海軍から中古潜水艦を入手したが、ノルウェイで修理に手間取って結局この計画は実現しなかった。

写真はエッケナー博士、フリチョフ・ナンセンとウィルキンス卿である。

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