2010年06月07日

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飛行船四方山話(153):ザイルコフ博士のキャビン

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乗客定員は20人だけれど・・・。

[区分]人物:乗船客

[難易度] 中級

[問題]
「グラーフ・ツェッペリン」世界周航時には乗船希望者が多く、招待客、各国政府代表、報道関係者などで乗客用キャビンは満室でした。
結局、乗客定員の20名が乗船することになりましたが、ハースト新聞特派員のドラモンド=ヘイ女史がツイン・キャビンを専用したので、一人はみ出すことになりました。
乗客用キャビンに入れなかったハンブルク海洋気象台の気象学者ザイルコフ博士は何処で寝起きしていたのでしょうか?

1.ダイニング兼用のサロン
2.乗組員用居住区
3.2床の乗客用キャビンを3人交代で使用
4.操縦室後方の指令用ソファー

[答]

[解説]
現在のジェット旅客機でも気象状況の把握と予測は非常に重要ですが、飛行船の時代に気象学の知識ははさらに重要でした。
エッケナー博士の学位は哲学博士ですが、彼が飛行船指令として有名になったのは「気象を嗅ぎ知る」とまで言われた気象学者としての能力によるところが大きかったのです。
彼は若い頃、バルト海でヨットを乗り回し、この能力を身につけたと言われています。
「グラーフ・ツェッペリン」の世界周航の経路は南回り、カザフ・モンゴルを通るコースなどを検討した結果、大圏コースに近いシベリア横断コースとなりました。
地形図も不確かなシベリアや、未知の太平洋を航行するため、ハンブルク海洋気象台のザイルコフ博士に乗船して貰うことになりました。
乗客用キャビンが満室のため、ザイルコフ博士は乗客用キャビンに乗れませんでした。フランクフルト新聞特派員ガイセンヘイナーの乗船記によると、シベリア上空を飛行中の8月16日の夜、ザイルコフ博士が呼ばれて操縦室に来たことを記していますが、その夜すでに3回目であったと記しています。
彼はゴンドラ部分のキャビンではなく、主船体後部の士官居室で起居していました。
昼間はサロンで他の乗客と食事をしたり、談笑していたようです。


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