2010年06月11日

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「紺碧の海」はこちらです ***

飛行船四方山話(157):カルクリンとは誰か?

Kremlin_1.jpg

ソヴィエト政府代表とは言うが・・

[区分] 人物・乗船客

[難易度]初級

[問題]
大阪毎日特派員の圓地博士の著書、大阪朝日の北野特派員のレポート、フランクフルト新聞特派員のガイセンヘイナーのレポート、エッケナー博士の著書、ザムト船長の著書にも世界周航に乗船した人物としてカルクリン氏が登場しますが、ソヴィエト連邦の政府代表という彼は何者でしょうか?

1.ロシアの地理学者
2.ソヴィエト連邦の気象学者
3.航空省の技師
4.クレムリンの高官

[答]

[解説]
フリードリッヒスハーフェンで乗船し、霞ヶ浦で下船したカルクリンは、乗船名簿ではモスクワ在住のソヴィエト連邦政府代表となっていますが、資格や専門については何も記載がありません。
圓地与四松氏は、その著書「空の驚異:ツェッペリン」のなかでロシアの地理学者と書いています。ガイセンヘイナーも同じくロシア人の地理学者としています。エッケナー博士は例によって名前を挙げておらず、ただロシア代表としています。ザムト船長はロシア政府代表のカルクリン氏としています。
ところが北野特派員は霞ヶ浦下船直後の1929年8月21日付け東京朝日新聞に同乗記を掲載しており、「モスコー航空省の技師で英語のしゃべれないカルクリン君」と書いています。圓地氏も船上で地理学者や気象学者ではなく飛行機のエンジニアだと気がつくのですが、同年9月に発行された上記著書では地理学者となっています。おそらく船中で書き留めていた原稿をすぐに出版社に廻してしまったものと思われます。
英語もドイツ語もフランス語もしゃべれないカルクリン氏のことが殆どの乗船記に載っているのは、気圧配置が悪くモスクワ上空を通らなかったことを根に持って、脅したり不服を言ったりして下船まで皆を困らせていたからです。
カルクリン氏と同室になったのはスペイン王室の侍医メヒアス博士でした。
王家の侍医が、言葉が出来ずにブツブツと呪文のような独り言をつぶやいている男と同室になったことはお気の毒というほかありません。
その国の上空を航行するときに支援するために乗った筈なのですが、彼に訊いても教えてくれないので、乗組員も乗客もとても興味を持っていたツングースカ大爆発の現場を見ることが出来ませんでした。
この爆発は日露戦争直後の1908年6月末に起こったのですが、その後第一次世界大戦やロシア革命などで調査できる状態ではなく、1927年に第1回探検、1928年に第2回、そして「グラーフ・ツェッペリン」世界周航の1929年に第3回探検が行われています。
TNT火薬換算で10〜15メガトン級という大爆発で半径30キロメートルの森林が炎上し、1000キロメートル先の家の窓ガラスが割れたと言われる大爆発でした。
カルクリン氏は霞ヶ浦で下船したのですが、その後のことは判りません。

写真は、後日モスクワを訪問した「グラーフ・ツェッペリン」から撮影したクレムリンです。

Comment on "飛行船四方山話(157):カルクリンとは誰か?"

"飛行船四方山話(157):カルクリンとは誰か?"へのコメントはまだありません。