2010年09月23日

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木下静涯画伯

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木下静涯画伯は日本画の大家であった。

1918年に画伯は台湾に渡り、淡水の風向と情緒に魅せられ、1923年にこの地に居を定め、淡水河を見下ろす山の手でその風景や花を描いていた。
1934年以降は台湾の高山の生態を描いていたという。

1927年からは台湾美術展覧会と台湾総督府美術展覧会の審査委員を担当していたが、大東亜戦争の敗戦で1946年に福岡県小倉に引き揚げられた。

1987年5月には満百歳を迎えられたので、当時淡水に住んでいた人達で祝電や祝賀記念品を贈ったが、その翌年8月27日に亡くなり、29日に葬儀が執り行われた。
このとき、父が弔辞を述べている。

上掲の絵は、台湾歴史博物館所蔵のものである。

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