2012年12月14日

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義士祭

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元禄15(1703)年12月14日の深夜、播州赤穂の浪士が火事場装束で表門と裏門から吉良邸に討ち入り、吉良義央および家人を殺害した。

その前年の3月14日、江戸城松の廊下で浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に刃傷に及び、殿中での刃傷に激怒した将軍綱吉が長矩に即日の切腹を命じ、浅野家は断絶となった。しかし、喧嘩両成敗の武家の定法にもかかわらず吉良義央には何の咎めもなかった。
この裁定を不満として浪人となった旧浅野家の家臣が行った仇討ちであった。

いわゆる赤穂義士の討ち入りである。

後に歌舞伎や浄瑠璃で「仮名手本忠臣蔵」として広く知られるようになった。

義士の葬られている泉岳寺などでは毎年12月14に、義士祭が催されている。


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