2014年05月06日

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LZ129「ヒンデンブルク」爆発事故

LZ129_Lakehurst_1.jpg

1937年の5月6日、その年の最初の北米飛行にフランクフルトからニューヨーク郊外のレークハーストに着陸しようとしていた「ヒンデンブルク」は突然爆発炎上した。

前年の3月4日に最初の試験航行に浮揚したLZ129「ヒンデンブルク」は3月末までにさらに4回の試験航行を実施した。
3月6日には航空省立ち会いの公式試運転が行われ、同23日には内外から参集した報道関係者を含めた102人の乗客と51名の乗務員が乗っており、LZ127「グラーフ・ツェッペリン」とボーデン湖上を並航したのである。

ナチ政権の指示による3回のプロパガンダを行ったあと3月31日にリオデジャネイロへの渡洋航行に出発し、同年中に南米へ7往復、北米へ10往復の航行を終えた。

殆どの航行で満席という好評に応えるため乗客用キャビンを20余名分増設し、翌年3月には南米往復を行い、5月にはこの年初めての北米航行でニューヨーク上空を旋回した後、着陸地に向かったが風雨が強かったため洋上に出て空港からの着陸を待っていた。
18時前後に着陸態勢に入り、繋留索を投下したあと突然ガス爆発が起こった。

その後、数十年にわたって原因究明が行われたが未だに諸説が取りざたされている。

当時、浮揚ガスとしてのヘリウムは合衆国でしか生産されていなかった。
合衆国議会が承認したにも拘わらず内務長官イッキーズが輸出を許可せず、ツェッペリン飛行船にヘリウムが供給されることはなかった。

LZ129の同型船「グラーフ・ツェッペリン(Ⅱ)」も旅客運航を行うことなく解体された。

写真は爆発直前に撮影されたものである。

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