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淡水から広島までの一千浬(46)

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数日前の本欄で述べたように、質量ともに世界の先端を走っていた日本の造船、海運業に衝撃を与えた「ぼりばあ丸」と「かりふぉるにあ丸」の東京湾の入り口に近い野島崎沖における海難の原因を究明するために、財団法人日本船舶技術研究会に「大型鉱石運搬船の船首部波浪荷重および鉱石圧に関する実船試験」(第124部会:略称SR124)が設立された。

1970(昭和45)年9月から1975(昭和50)年3月まで、実船計測や模型による構造強度実験、衝撃波浪応答などの研究を実施する総額3億5千万円という国家的プロジェクトであった。

広島造船所で建造中であった大阪商船三井船舶向け第25次計画造船の載荷重量11万7千トンの鉱石運搬船(総トン数:65849トン)が供試船となった。

船首船底部外板などに衝撃波を計測する圧力計が20点以上設置され、船体構造部材には静的、動的歪みゲージが多数取り付けられた。

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船橋で当直航海士から目視波高、波長を訊き記録するほか、航空測量用カメラをプロトタイプにして開発された3次元波浪撮影用カメラを露天船橋に設置し定時観測も行った。
長時間にわたる波浪を測定するために投下式波浪観測ロボットも開発され、毎航何基か投下した。これは電池内蔵式で長時間にわたりブイの上下加速度や振幅を受信記録するものであった。
毎日、圧力計と船体構造部材に貼り付けられた歪みゲージの出力を記録するために、ディジタル式データレコーダーも搭載された。

このような計測機器や写真現像用の暗室などのために大きな事務室がいっぱいになった。
その第8次航に計測員として乗船することが決まった。
広島造船所の杉岡技師と2人で往復2ヶ月のアフリカ大西洋岸のアンゴラまでの航路であった。

第1次計測は、往復2ヶ月の南米チリ往復であったが、第2次航から数航海は内地出航後10日目には到達できる濠州北岸のポートダンピア、ポートヘッドランドであった。
三菱商事などが政情不安定なアフリカや年率100%にもなるインフレのリスクを回避するために濠州に大規模露天鉱山を開発していた。

乗船は決まったものの、準備から大変であった。
ビザを申請するために訪れた官庁の窓口で、アンゴラとは何処か?どこの大使館が代行しているのかと聞かれても困るのである。
福山港から出港するのに、アフリカ航路であるという理由で黄熱病の予防注射を受け、イエローカードを発行して貰うために夜行列車で羽田空港まで往復する必要もあった。

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2012年02月18日 10:04に投稿されたエントリーのページです。

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