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父の書

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父はよく色紙を書いていた。

画は淡彩画で、風景をよく描いていた。
家の近くも描いていたし、旅先でもよく写生をしていた。
何時もスケッチブックを携えて家族でドライブに行っても、5分程度で素描をし、帰ってから改めて色紙に描いていた。
若い頃から書も淡彩画も自己流で描いていたが、1984(昭和59)年、父が72歳のときに初めて街の文化センターの教室に通った。
風景画のほかは、花をよく描いていた。
これは、その時に水彩画の教室で画材に花を描くことが多かったからである。
人物画は描いたことがない。

文化センターでは書の教室にも短期間行っていたが、その先生は前衛的な書家であった。引き揚げ以来、初めて台湾に行ったのは書の仲間で故宮博物院に行こうと誘われたからである。
そのとき、淡水公学校の教え子が桃園の中正国際空港まで迎えに来てくれて、故宮博物院に行った後、書の仲間と別れて淡水に行き、陳淑女校長も含め歓迎の祝宴に出ている。

書は漢詩も多いが、一文字あるいは二文字も沢山書いていた。

上の色紙はその中の一枚である。

落款印も唐津の教え子の一人が彫ってくれたものである。

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2012年04月09日 21:37に投稿されたエントリーのページです。

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