« 立春にご無沙汰のお詫び | メイン | 北投の善光寺 »

*** 当ブログは2014年5月末に引っ越しました…新しい「淡水」ブログはこちらです ***

「廟」

GOD%20simple.jpg

先月、LCさんから送られた写真である。

遅くなったが転載させて貰う。

『日本の何処に行っても神社佛閣があるように、台湾のどの街にも廟がある。
淡水の廟と言えばすぐ、人々に親しみられた下町の媽祖宮廟を思い出す。
母の信仰する、清水街にある清水祖師廟は昭和一桁時代に再建された。
学校に上がって字が読めるようになり、祖師廟の壁に親父の名前と献金二千円が地方の有志家許丙さん献金五千円の次に並んでいたのを発見した。
土建屋の親父は廟の再建の工事をも請け負ったようで、今は北新庄海岸、高層建築の養老院に引退した周明徳さんからの手紙で、家の兄が祖師廟で工事監督をしていた思い出に触れていた。
因みに周さんの家は廟の数軒隣だったのです。
祖師廟の直ぐ坂の下には観音様を祀る龍山寺があったが、寺の前の広場は今では市場に取って代わられ、寺は何処か?と探さないと見つからない程に混雑を極めている現状だ。
淡水四大寺院の4つ目、汽車駅の向こう側にあった山寺、俗に公佛と呼ばれる寺廟も忘れられない。
本像はミイラと聞いて、一年坊主のある日一人で恐る恐る奥へ忍び込んだ。
そこで目にしたのは等身大の本像、でも、けばけばしく飾りたてていてミイラの正体は判別出来なかった。
記憶の山寺は田んぼの真ん中、でも最近Google Mapで調べたそのお寺は多数の高層アパート群に囲まれて窮屈そうだ。
廣川さんが第一回淡水訪問の際、奥さんの背影を撮った写真の廟、家の親父の家の横のちっぽけな廟など、指を折って数えてみると、淡水の街のあちこちに小さな廟がまだ十軒近くも残っていた。

添付の写真は1963年の初め頃、淡水駅の汽車の供水塔付近、元本願寺の向かいでのスナップ。
写真機は同じく例のAires、45mm/1.9の標準レンズにフイルムはKodakのplus x panでした。
寒い冬、オーバコートを着て仏像を持ち運ぶ人物の真面目腐った表情が面白い。
よく見ると佛像は男性の顔、媽祖様ではないのは確かだ、なら祖師様かなと疑う。
でも媽祖様や祖師様がお出かけの時には、殿様行列のように前後に七爺八爺の家来を従え、等身大の本像は駕籠に乗って街中を練り回るから、この小型の仏像は多分何方でもなさそうだ。
その佛像を見送りながら、その人は汽車に持ち込んだ佛像を床下に置くか座席に座らせるかと考え、神様は切符を買う必があるかなと頭を傾げた。』

私は小さい頃、頻繁に行われる祭礼の獅子舞が怖かったように憶えている。

今年も神戸や横浜、それに長崎の中華街は賑わっているのであろう。

About

2013年02月10日 13:44に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「立春にご無沙汰のお詫び」です。

次の投稿は「北投の善光寺」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。